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①梶川銘「富士雲龍蒔絵印籠」 、② 寛哉銘「秋野蒔絵印籠」

作品番号H-124、125
制作年(西暦)19th C.
制作年(和暦)江戸時代
サイズ①印籠:縦8.3 幅5.0㎝、根付:径4.3㎝、緒締:径1.2㎝ ②印籠:縦7.5 幅4.8㎝、根付:径4.0㎝、緒締:径1.2㎝
技法印籠:木製漆塗金蒔絵、根付:①唐木製嵌装、②象牙製嵌装、緒締:珊瑚製
公開コメント①は紐通しを外に張り出し、甲と底をなだらかに盛り上げた5段重ねの印籠。器体は黒漆塗に梨地とし、その表裏に海中より出現した龍と、雪を頂く富士山を金銀の蒔絵で表している。底には江戸時代の代表的印籠蒔絵師で、代々将軍家に仕えた梶川家の銘がある。また根付は円形の唐木の台に、硝子や鼈甲、石などを嵌入して紫陽花を表す。裏には安永年間(1772~81)生まれの印籠細工師で、芝山細工の創始者となった芝山易政の銘がある。緒締は珊瑚製、紐は紫とする。
 ②も甲と底を盛り上げた4段重ねの印籠で、黒漆塗に梨地とし薄・萩・女郎花などの秋草を全面に金蒔絵で表す。底に江戸の印籠蒔絵師で三代に渡り熊本細川家に仕えた古満寛哉銘がある。根付は円形象牙製で南天紋様の芝山細工。無銘だが①の根付と表現技法に同一性が認められることから、同じく易政作の可能性がある。緒締は珊瑚、紐は薄藍とする。ともにこの時期の代表的作者の手になり、様々な蒔絵技法を駆使した精緻な作品である。
箱蓋裏の印(追葵朱円印)から、本品は越前松平家の伝来であることが判る。くわえて天保4年(1833)5月13日に、14代藩主斉承(なりつぐ)が、江戸城大奥にて11代将軍家斉より拝領した旨も記されている。ところが藩主の公的記録である『家譜』には斉承が登城した記述はない。一方、箱書の藩主名は後入れと見られること。また正室浅姫(家斉娘)と息子於義丸が、親族の不孝により当日の登城を急遽遠慮する旨を幕府に届けていることから、日付が正しければこの時に係わる拝領の可能性が高い。ちなみに福井市立博物館・印牧信明氏によれば、内々の拝領は公式には記録されない場合も多いとの事である。
梶川や寛哉は印籠蒔絵の名工として知られ、また海外での人気も高いことから、偽銘や後世の模倣作が多く真贋の判定が極めて難しい。その意味でこれら両作品は、伝来の正しさやおおよその制作年が特定できること、さらに当時の蒔絵技法の典型を示す点においても基準となる作品である。なかでも①の紫陽花文根付は芝山易政の銘があり、徳川美術館所蔵の「紫陽花嵌装印籠」と並ぶ名品で、研究上も極めて重要である。

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