| 略歴・解説 | 日本画家。本名覚平、慶応3年12月11日(1868年1月)、越前(現福井県)福井老松下町に(清水)寛裕、岡倉仲の次男として生まれる。岡倉天心は叔父にあたる。初め東京外国語学校でフランス語を学んでいたが、途中画家を志し狩野芳崖に師事する。明治18年(1885)第1回鑑画会「鷲」(4等)、19年(1886)第2回鑑画会「山水」出品。明治22年(1889)には東京美術学校に第一期生として入学、23年(1890)美術学校に制作が委嘱された楠公銅像の懸賞図按に応募し1等賞を受賞。同年依願退職し、普通教育において毛筆画教育を推進する天心の意向により、東京女子高等師範学校の毛筆画指導の図画教員として27年(1894)まで勤務。24年(1891)から34年(1901)の間に毛筆画の教科書を多数刊行した。27年(1894)第3回日本青年絵画協会「義家知伏図」(2等・審査員)出品。29年(1896)第1回日本絵画協会「秋溪猛鷹」(2等)、「眞如叢雲」出品。同年12月から大正3年(1914)4月まで、学習院で教鞭をとった。33年(1900)には日本画旧派の日月社を結成、代表役員となる。学習院退職後は「芳崖先生遺墨大観」、「芳崖先生遺墨全集」、「狩野芳崖遺墨帖」を刊行し、狩野芳崖鑑定の第一人者となった。関東大震災によって神田淡路町の家が焼失したため居を京都に移すが、昭和23年(1948)再び上京、荒川区南千住に住まう。昭和25年(1950)12月30日没。師芳崖の風を良く受け継ぎ、歴史人物画を得意とした。 |