金門橋
| 作品番号 | J-301 |
|---|---|
| 作家 | 横山操 |
| 制作年(西暦) | 1962 |
| 制作年(和暦) | 昭和37年 |
| サイズ | 181×105.5cm |
| 技法 | 紙本著色 |

| 作家名(ヨミ) | ヨコヤマミサオ |
|---|---|
| 作家名(英語) | Misao YOKOYAMA |
| 生年月日(西暦) | 1920 |
| 生年月日(和暦) | 大正09年 |
| 没年月日(西暦) | 1973 |
| 没年月日(和暦) | 昭和48年 |
| 略歴・解説 | 日本画家。新潟に生まれ、東京にて没。小学校卒業後画家を志し上京、最初洋画を学ぶが1939(昭和14)年日本画の川端画学校に入学。翌1940(昭和15)年の青龍社展に「渡舟場」が入選、川端龍子の目にとまるが、同年戦争のため応召される。1950(昭和25)年復員し、同年の第22回青龍社展に「カラガンダの印象」を出品。以後同展に作品を発表し、1956(昭和31)年の第28回展では「炎炎桜島」が青龍賞を受賞。黒を主体とした情熱的な作品群で注目を集め、1958(昭和33)年に青龍社社人となる。一方翌年の第5回日本国際美術展で「峡」が最優秀賞となるほか、現代日本美術展、秀作美術展などにも出品した。また1961(昭和36)年のアメリカ旅行を基に「グランドキャ二オン」「ウォール街」などを発表するが、翌年青龍社を脱退、以後個展を中心に活動し、「瀟湘八景」などの作品で水墨画に新境地を開いた。さらに1962(昭和37)年からは富士山の連作を開始し、1965(昭和40)年には多摩美術大学で日本画を教えるなど旺盛な活動を見せたが、53歳に急逝した。門下に本県出身の日本画家米谷清和や松下宣廉などがいる。 |