竹林七賢図(左幅)(画稿)
| 作品番号 | J-229 |
|---|---|
| 作家 | 下村観山 |
| 制作年(西暦) | 1915頃 |
| 制作年(和暦) | 大正4年頃 |
| サイズ | 133.5×49.5cm |
| 技法 | 紙本墨画 |

| 作家名(ヨミ) | シモムラカンザン |
|---|---|
| 作家名(英語) | Kanzan SHIMOMURA |
| 生年月日(西暦) | 1873 |
| 生年月日(和暦) | 明治06年 |
| 没年月日(西暦) | 1930 |
| 没年月日(和暦) | 昭和05年 |
| 略歴・解説 | 日本画家。本名晴三郎。明治6年(1873)4月10日和歌山市生まれ。昭和5年(30)5月10日横浜市にて没、57歳。明治15年(1882)年頃より狩野芳崖に師事、ついで19年(86)橋本雅邦に入門。3年後に束京美術学校第1期生として横山大観らとともに入学。27年(94)卒業と同時に同校助教授となるが、31年(98)の美術学校騒動で天心にしたがい辞職、日本美術院創立に参加した。以後絵画共進会で5回展「闍維」、9回展「大原の露」など毎回力作を出品、受賞を重ねた。またこの頃大観、春草らと朦朧体を試みる。35年から38年(1903~05)にかけて渡英、西洋古典絵画の名作に学ぶ。一方文展では1回展「木の間の秋」、4回展「魔障」などを出品。天心没後の翌大正3年(14)には大観らと日本美術院を再興、1回展に「白狐」2回展「弱法師」などを発表、以後同展を中心に活躍した。写実的描写と琳派などやまと絵表現を融合させた装飾的な作風で、多くの優作を描いた。 |