今立郡大本村と尾緩新田村山論絵図

時代[江戸]
資料解説"明和3年(1766)、山境の位置をめぐる大本村と尾緩(おだるみ)新田村の争論の際に作成されたものです。争論となった場所は、大本村と尾緩新田の間に位置する山で、淡い緑色で「論所山」と表現されています。むらは山に囲まれ、川沿いの狭い平地に家屋、田畑が分布していた様子が見て取れます。両村では、山から三椏(みつまた)や楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)を生産し、周辺のむらと取引していました。また、大本村では木地挽(きじびき)も行われていたため、利用できる山の範囲は重要な問題でした。"

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