『臥裸婦』の画像

臥裸婦

作者安井曾太郎
ArtistYASUI Sotaro
TitleReclining Nude
制作時期大正5年(1916)頃
技法・材質キャンバス、油彩
サイズ60.6㎝×72.8㎝
取得方法購入
取得年度平成11年度
所蔵品目録番号0263
作品解説血のように赤い敷物。圧倒的量感の女性。絵の激しさを鎮める背景の冷たい青緑色の壁。一気呵成に引かれた輪郭線。この絵の卓越した構図と質感、そして色使いは、人間存在の重みやモデルの個性までも感じさせ、見る者の心を深く、そして激しくゆさぶる。
 この絵を描いた安井曾太郎は、16歳でフランスに渡り、恩師である画家、鹿子木孟郎の紹介によって、当時伝統絵画の権威であったジャン゠ポール・ローランスに写実を学んだ。そして新しい絵画理論(印象派)に強く影響を受け、7年間のヨーロッパ留学から帰国したばかりであった。帰国直後、留学の成果である45点の油彩作品を出品した二科会で絶賛され、無名の画家は一躍脚光を浴びた。
 しかし、世評の高まりとは裏腹に、日本の風景、人物、静物などをどう表現すべきか、強烈なヨーロッパの光線とは異なる日本の鈍い光にうかぶ事物の表現が、課題となった。第一次世界大戦の勃発によって帰国をやむなくされ、また帰国後、肺の疾病を抱え込み、しかも自己の様式を確立できずにいるという、安井にとって暗澹たる時期にあたっている。
 箱根の伊豆山で安井が苦闘していたこの時期、すなわち大正6年(1917)から11年頃の作品を、安井は生涯自選展からはずし、他の展覧会への出品を拒み続けた。安井は制作の悩みや研究の過程といったものを口外しなかった。全体の凄み、裸婦の表情に落とされている翳りは、後の「安井・梅原時代」と称される洋画の黄金期を確立するための生みの苦しみの激しさを示し、写実から印象重視ヘの転向の困難さを物語っている。
 これは、優れて鋭利ともいえる写実的デッサン力の持ち主であった安井であったればこそ、苦闘は深かったのである。写実力と印象派風の強い色使いとデフォルメが一旦日本の現実に向けられ、大正という時代の温度や人間の情趣を取り込み、骨太で破綻のない作品の完成に成功したのである。この絵は、日本近代洋画の一つの転換点を象徴している。
(志賀秀孝「作品解説」『府中市美術館所蔵作品50選』2000年、府中市美術館)

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