
裸婦
作者 | 満谷国四郎 |
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Artist | MITSUTANI Kunishiro |
Title | Nude |
制作時期 | 制作年不詳 |
技法・材質 | キャンバス、油彩 |
サイズ | 53.4cm×45.6cm |
署名等 | 画面右:K.Mitsutani 192□ |
取得方法 | 購入 |
取得年度 | 平成8年度 |
コレクション名 | 河野コレクション |
所蔵品目録番号 | 0260 |
作品解説 | ひと房の葡萄をつまむ女性の左手は、ひじの骨などないように「ひゅっ」とくねった曲線で描かれ、形のリズムは肩をとおって右腕に「すうっ」と流れ落ちていきます。左手でつまみとっているひと粒の葡萄が「ふわり」と右の手の中からまるで手品のようにあらわれてくるようです。 背景の深みのある落ち着いた色調は、まるで葡萄の汁をしぼって描いたような色です。この絵の主題は、葡萄の「実り」もしくは「秋」としてよいでしょう。この「秋」に対する画家の優しいまなざしは、中央の女性の描き方に(形と色)に現れており、絵を観る我々に深い充足感をあたえてくれます。つまり女性全体の形は、洋梨のようで安定感のある台形で描かれ、女性の肌の色も梨の実の色のようにも見えます。そして、ふっくらとしたおなかには赤ちゃんが。女性がまもなく母となり「実り」を迎えることを表すために、画家は女性を裸身で描いているのです。この女性は、もはや大地の母神のようであり、飾りのなさは、まるで土偶のような落ち着きと人間存在の重みをどっしりあらわしています。私などは、この大地の優しき母を、自分にだけ優しい母、自分だけを守ってくれるような母、自分にだけ都合がよいような「母」として勝手に想像してしまうほどです。ともあれ、画家は中央の女性を、泉から水がわき出るように人々に「愛情」をひたすら与えてくれる優しい「女神」として描いているように思われます。 満谷にとって、こうした裸身女性像は得意のテーマでありました。けれども、若い頃の満谷国四郎の作風はこの作品とは全く違いました。岡山と大阪では「天彩学舎」の松原三五郎に、東京では「不同舎」の小山正太郎という西洋画の先生に恵まれ、懸命に学ぶ満谷青年の画風は、自然を真正面から捉えようとするものでした。「不同舎」という画塾に集った満谷のほかにもたくさんの若者は、「道路山水」と呼ばれる鉛筆写生画を盛んに制作しました。《馬のいる渡船場》もその一つです。 彼らの鉛筆画の魅力のひとつは、濃淡(鉛筆の濃いところと薄いところ)の幅と描線(鉛筆で描いた線)の微妙な変化です。この画塾でも満谷は、同郷の鹿子木孟郎らとともに高い水準をしめしました。 鉛筆画は下絵と思われがちですが、部分をごらんになれればすぐにおわかりいただけます。ほとばしる若い感性が瞬時の写生画となったもので絵画制作の上で、なすべき所作がすべて施され、絶妙に調整された完成度の高い作品なのです。 若くともこうした卓越した技法を身につけて、さらに渡欧して西洋画の基本を学び、そして帰国後、画家としての長い道のりを経てはじめて、冒頭の油彩作品《裸婦》のような、これ以上ない柔らかな曲線が描け、絵画を構成することができるようになったのでした。 (志賀秀孝「所蔵品から」『府中市美術館だより』第32号、2011年8月、府中市美術館) |