大磯風景

作者黒田清輝
ArtistKURODA Seiki
TitleLandscape at Oiso
制作時期制作年不詳
技法・材質板、油彩
サイズ24.1cm×32.5cm
取得方法購入
取得年度平成10年度
所蔵品目録番号0123
作品解説浜辺の野草を、微妙な緑の色の変化と筆致でさりげなく描き分けており、樹陰を黒に代えて紫を用い、落ちついた色面の重なりによって自然で穏やかな画面ができている。
 大正13年(1924)7月に黒田が没すると、同年11月に遺作展が開催され、本作は《大磯風景》として出品された。翌年黒田の後継者、和田英作が『黒田清輝全作品集』を編集。その中に、白滝幾之助の所有として5点、「江の島」「大磯の濱」「斜陽」「大磯の濱」とともに本図「大磯濱邊」が掲載されている。これら5図は、共通の内容(構図、寸法、技法、画題)を持っており、5図で揃いの可能性がある。画題は、初出品時の画題「大磯風景」とした。また、黒田が大磯・箱根に避暑を求めたのは明治29年(1896)以降であり、また他の作品の画風から明治30年代から大正初年頃まで、特に明治40年代の制作と考えたい。
 黒田清輝は、慶応2年(1866)鹿児島城下に生まれ、明治4年、上京し麹町平河町の清綱邸で育つ。明治11年高橋由一門下の細田季治に鉛筆画を学ぶ。明治17年法律研究のためパリへ私費留学。山本芳翠、ラファエル・コランに接し、ついに画学修行を決意し、アカデミー・コラロッシュのコランに明治19年入門する。本格的に油彩画を始め、パリ近郊のグレー村やブレハなどを訪れ制作する。明治24年《読書》が、同26年に《朝妝》がサロンに入選し、同年帰国。翌年、天真道場を開設した。明治29年、東京美術学校西洋画科教授となり、白馬会を結成し日本の洋画壇の中心的人物となった。
(志賀秀孝「作品解説」『府中市美術館所蔵作品50選』2000年、府中市美術館)

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