ピエトロ
| 作者 | ジャン=ポール・ローランス |
|---|---|
| Artist | Jean-Paul Laurens |
| Title | Pietro |
| 制作時期 | 1907年 |
| 技法・材質 | キャンバス、油彩 |
| サイズ | 116.0cm×81.0cm |
| 署名等 | 画面右下:Jean・Paul Laurens 1907 |
| 取得方法 | 購入 |
| 取得年度 | 平成10年度 |
| 所蔵品目録番号 | 0296 |
| 作品解説 | 画家ローランスが生きた19世紀後半から20世紀初頭にかけて、フランスの美術界は政治と同様激変した。印象派の台頭そして市民階級の新しい趣味が形成される中で、それまで美術界の中枢であったアカデミーやサロンの権威は相対化していった。 ローランスはアカデミーで最高位のジャンルとされた歴史画を描き続け、「最後の歴史画家」と呼ばれている。正確なデッサンカ、過去の建物や衣装の忠実な再現、厳格な画面構成に加え、劇的な場面設定でたった今その出来事が起こったかのような迫真性を表わした。また、画面全体に均質に焦点を当てた描写は、写真の時代における写実の方向を示している。 本作は晩年の作品であり、簡素だが計算された幾何学的構図の中に、人物を堂々と収めている。細い線描による端正な建物の処理と、黒衣をまとった人物のてらいのない描写の対比が、円熟味のある落ち着いた世界を生み出している。 彼は1890年から1917年まで、パリの私画塾アカデミー・ジュリアンで教え、鹿子木孟郎、中村不折ら日本人留学生がそこで学んだ。彼らは、解剖学に基づいた正確な人体模写や絵画技法を学び、帰国後に教育を通して広めようとした。ローランスの絵画からは、伝統と革新がない交ぜとなった当時のパリの美術界だけでなく、ヨーロッパの絵画の伝統を会得し、日本に根付かせようとした日本人画家たちの姿、そして彼等が追及した「美術」の存り方が透けて見える。 (神山亮子「作品解説」『府中市美術館所蔵作品50選』2000年、府中市美術館) |
