山の人等

作者渡邉淳
ArtistWATANABE Sunao
TitlePeople of Mountain
制作時期昭和31年(1956)頃
技法・材質紙、フェルトペン
サイズ79.0cm×109.0cm
取得方法渡邉淳氏寄贈
取得年度平成27年度
所蔵品目録番号2030
作品解説「この谷のこの土を喰い、この風に吹かれて生きたい。」
 2017年8月17日に86歳で亡くなられた渡邉淳さんは、1931年、福井県の大飯町佐分利村(現おおい町)に生まれ育ち、描くことに生きた極めて実直な画家でした。
 日本海のリアス式海岸が美しい若狭湾国定公園に隣接するおおい町は、豊かな山林に懐かれ、ここからゆったりと流れる佐分利川は静かに小浜湾へと注いでいきます。この佐分利村に育ち、高等小学校卒業後は、生計を立てるため炭焼きを教わり、できた炭を町に売りに行くという生活でした。一人きりで山中に入り幾晩も炭焼き小屋に泊まり込み炭焼きをするうち、ふと、かたわらにあったセメント袋などに、炭やマジックで絵を描きはじめました。見よう見まねでカンバスにも絵を描くようになり、1967年には油絵の具で描いた「炭窯と蛾」が日展に入選すると、周囲を驚かせました。
 谷間の夜の闇は心底暗く、明かりなしにはわずか半歩も歩けない。そんな山中の漆黒の闇の黒色と、炭焼き窯の燃え立つ炎の朱色。この黒色と朱色の強い対比を、野に生きる命の力の強さとして、他の誰にも描けぬ世界を渡辺淳さんは絵に紡ぎ出していきました。
 同郷の小説家、水上勉氏と長年親交を続け、氏からは「若狭がうんだ農民画家の第一人者」と評され、装丁や挿画を手掛けた水上文学作品の数は70冊以上に及びました。
 若狭の自然の闇と人間の孤独にひろがる闇、この二つの闇に目をこらし、生きる喜びを見いだそうとした渡辺淳さんは「野の詩人」、「声なきものの声を聴くことのできる画家」とも謳われています。炭焼きを廃業した後も、画業のかたわら村の方々を一軒ずつ巡り便りを届ける郵便配達人もしました。作品は、いつまでも燃える炭火のように熱く暖かな「生きることの意味」を我々一人ずつに手渡し続けてくれています。
(志賀秀孝「所蔵品から」『府中市美術館だより』第47号、2018年2月、府中市美術館)

PageTop