Hの肖像

作者高畠達四郎
ArtistTAKABATAKE Tatsushiro
TitlePortrait of H
制作時期大正10年(1921)
技法・材質キャンバス、油彩
サイズ91.0cm×72.3cm
署名等画面右上:1921. T.TAKABATAKE..
取得方法購入
取得年度平成8年度
所蔵品目録番号0151
作品解説《Hの肖像》は、高畠達四郎がまだ若い26歳頃に描かれました。この画家は、今の東京都千代田区神田須田町、雑穀問屋「村新」を営む家の末子として生まれ、東京女子高等師範の付属幼稚園、東京高等師範附属小学校、同中学校に学びました。後に近代西洋絵画の収集家として有名となる福島繁太郎や、生涯の友であった洋画家鈴木信太郎らが同級生にいました。鈴木とは一橋、秋葉原、お茶の水、大塚あたりでバッタを追いかけたり喧嘩をしたりして少年時代をすごしました。高畠は柔道、水泳、野球などが得意なおおらかでのびのびとした、そして少しわがままな少年だったようです。鈴木の回想によれば、鈴木本人は模写の時間はまじめに手本を写しましたが、高畠は採点を全く気にせず、自由な色彩と形態を本能的につくって楽しんでいたといいます。やがて絵画に専念するために家族の反対を押し切って、折角入学していた慶應大学理財科を退学してしまいました。
 それから、岡田三郎助・藤島武二の主宰する画塾、本郷洋画研究所にしばらく洋画を学びましたが、やはりここでも師の画風に影響されることは少なかったようです。その後、独り懸命に学び、大正10年(1921)、帝展(今の日展)にこの作品を出品し、見事厳しい審査を経て展示されることになりました。
 画面には青年の半身が大きく描かれています。室内で帽子をかぶり、両切りの太い紙巻タバコをもった手を分厚い書籍にもたせ、その表情はぶ然として一点を見つめています。モデルの気取ったポーズと表情に見られるように、若さゆえか精神的に満たされぬ何かが画面いっぱいにたたきつけられており、高畠自身の胸中にあった放たれる直前の弓矢のような緊張感がこの絵をつくっています。
 本作品が帝展に入選したことは、画家として世に認められたことを意味し、この自信を胸に、彼はすぐさまパリに旅立っていきました。この作品は、自分だけが頼りの芸術創造世界に飛び込んでいった高畠の青春の記念すべき道標であるともいえます。滞欧後は、ヨーロッパの美術思潮の洗礼を受けて、単純化された形象を独特の色調を湛えて描くのが高畠の画風となってはいきますが、この絵にみられる青春時代の木訥で不器用な性格は、生涯変わることなく高畠様式の底流に流れつづけています。
(志賀秀孝「所蔵作品から」『府中市美術館開設準備室だより』第3号、1997年7月、府中市美術館)

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