夏山霽靄図

作者谷文晁
ArtistTANI Buncho
TitleKazan-Seiai Zu (Haze Clearing up in Summer Mountains)
制作時期寛政7年(1795)
技法・材質紙本着色 一幅
サイズ137.0cm×54.2cm
署名等画面左上:夏山霽靄 乙卯秋日写於写山楼中 文晁 (朱文方印)谷氏文晁 (朱文方印)字文晁
取得方法歳原啓太郎氏寄贈
取得年度平成27年度
所蔵品目録番号1782
作品解説「江戸時代の美術」と一口に言いますが、近年人気の伊藤若冲をはじめ、円山応挙や曽我蕭白、長沢蘆雪も京都の画家です。では、幕府の置かれていた江戸はというと、浮世絵こそ盛んに作られましたが、それを除けば、少なくとも現代の私たちの目から見ると地味にも感じられます。
 谷文晁は、そんな江戸の地の美術の歴史を語るうえで、重要な画家です。まず、柔軟な感覚をもつ実力者でした。色々な中国の絵を見て、描き方を研究し、更に、日本古来のやまと絵や、西洋の絵の作りようまで知っていました。それら各々がもつ固有の良さだけに捉われず、自分の感覚の中で色々な混ぜ合わせ方をしています。また、社会的な面でも特筆すべきものがあります。白河藩主であり、幕府の老中として寛政の改革を推し進めた松平定信のそばで仕事をし、その一方で、集まって来た大勢の弟子に絵を教えました。江戸や関東での美術の普及や画家の力量の向上に、大きく貢献したのです。
 この作品は、寛政7年(1795)の秋に、写山楼という江戸にあった文晁の画室で描かれました。よく見る中国風の山水画ではありますが、どこか親しみやすく感じられるのではないでしょうか。ダイナミックな筆づかいにしても、豪放なだけではなく、岩山の形や小道の様子が立体的に表されています。遠近法や陰影法といった西洋の絵の表し方が、文晁の感覚の中で混ざり合っているのでしょう。ただただ崇高な山水画より入り込みやすいのは、私たちが、西洋風の描き方に慣れ親しんでいるからかもしれません。特に、暗く表したい所や大きな面に表された太い平行線は、西洋のデッサンや版画で陰などを表す「ハッチング」と呼ばれる線にも似ています。
 左上に「夏山霽靄」という題が書かれています。つまり、夏山の靄(もや)が霽(晴)れた情景です。それを知ればなおさら、雄大で爽快な景色が迫ってくるようです。
 平成27年度にご寄贈いただいた作品です。
(金子信久「所蔵品から」『府中市美術館だより』第44号、2016年7月、府中市美術館)

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