神農図

作者太田洞玉
ArtistOTA Dogyoku
TitleShennong
制作時期江戸時代後期
技法・材質絹本着色 1幅
サイズ70.2cm×27.5cm
署名等画面右上:太田洞玉源資彬図画 (朱文円印)一号□叔
画面下:Hollandcshe vlyse Schilderen
取得方法購入
取得年度平成21年度
所蔵品目録番号1135
作品解説神農は、古代中国の伝説の皇帝。色々な草をなめて薬効を調べたため、医学や農業の神として祀られ、江戸時代、医者の家にその絵が掛けられました。
 この絵も、そんな多くの絵のひとつですが、相当風変わりです。いかにもそこに「眼球」があるという感じのぎょろりとした目、衣服のしわは陰によって表現されています。つまり、日本や中国の伝統的な描き方とは違う、西洋伝来の画法が使われているのです。葉の厚みや起伏まで表すことはさすがに諦めたのか、ぺらっとしていますが、それがまた、すべてを立体的に描くわけではない、絵としての魅力にもつながっているようです。
 最大の特徴は迫真的だという点です。もちろん本物の神農を前にして描くことはできないので、「もし神農がいたら…」という想像上の迫真です。日本の絵画には珍しく背景が漆黒の空間ですが、西洋の肖像画の決まり事をまねたのでしょう。西洋の肖像画には、モデルのバックをただ黒く処理したものが多くみられます。とはいえ、この絵の画材は日本の絵の具。これほど広い空間を墨で塗るには、なかなか度胸が要ったのではないでしょうか。濃淡を使って、ほど良く調子を付けています。
 作者の太田洞玉については、ほとんどわかりません。作品は、すでに知られていた西洋風の蝦蟇仙人図と、この神農図、そして、その後の調査で、千葉県館山市の神社に奉納された絵馬が明らかになりました。絵馬の署名には、九州の久留米藩の家士との肩書きがあります。江戸で久留米藩に仕えた人なのかもしれません。
 洞玉の絵と似た特徴をもつものに、秋田藩士の小田野直武や同藩主の佐竹曙山らが描いた、「秋田蘭画」と呼ばれる洋風画があります。多彩な活動で知られる平賀源内の発案による「不思議な絵」ですが、直武も曙山も大々的に絵を売ったわけではなく、その活動は、ごく限られた世界での実験的なものでした。洞玉も、彼らの仲間だった可能性が高いと考えられます。
(金子信久「所蔵品から」『府中市美術館だより』第40号、2014年8月、府中市美術館)

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