廃墟 A(焼跡A)

作者北岡文雄
ArtistKITAOKA Fumio
TitleRuins A ((Ruins of Fire A)
制作時期昭和23年(1948)
技法・材質紙、木版
サイズ27.3cm×33.4cm*
署名等画面右下:F.KITAOKA 画面外:1948 F.Kitaoka
取得方法購入
取得年度平成19年度
所蔵品目録番号1595
作品解説荒廃した大地、垂れこめる雲、屋根の焼け落ちた建物、無造作に立ち並ぶ杭、遠くに望む地平線、独り淋しくうつむく少女…。激しい空襲のあとを思わせる、変わり果てた都市の姿がここにある。右上に屹立する建築から、左下を向く人物の顔へ、観る者の視線は誘導される。廃墟が暗示する死と、残された子どもの生が、対比される。対角線にそって広がる遠心的な空間が言い知れぬ虚無感をそそり、木彫りのタッチと褐色のグラデーションが、寂莫とした惑情をかき立てる。敗戦の焦土である。
 作者の北岡文雄(1918-2007)は、終戦の年に満州で現地召集されたものの、すぐに解除となり、妻と幼い娘を連れて苦労の末、1946年10月に帰国した。この版画作品は、東京都本郷区の自宅で制作され、1948年4月の日本版画協会第16回展(東京都美術館)に展示された。もとより作家は、東京美術学校在学中に、創作版画の平塚運ーとの運命的な出会いにより、木版画を手がけていたが、戦時中も恩地孝四郎の一木会や春陽会の道場に出入りして、木版による表現を探究していた。
 そのような折、引き揚げ前に滞在した安東で、白黒で力強く社会的テーマを描く中国木刻を目にし、大きな衝撃を受ける。以後しばらく、社会派的な表現を試みることになる。当館所蔵の《八重洲口》(1948年)も、敗戦直後の混乱する東京の相貌を描いた作品の一つだ。作家は、リアリズムに接近しつつも、恩地らの抽象へと至る実験的な版画からも刺激を受け、新たな画風を確立すべく苦闘した。
 本作は、創作的な研究を内在しつつ、敗戦の現実を直視して、そこから立ち上がろうとする作家の決意を惑じさせる。北岡の作品からは、やがて社会派風のシリアスな表現は消えていく。そして、日本の風土に根ざした雄大で明朗な、品格のある風景版画を多く制作するようになった。そうした過渡期とはいえ、激動の時代を証言した本作は、作家の実直な人柄を伝え、私たちの胸を静かに打つものがある。
(武居利史「所蔵品から」『府中市美術館だより』第38号、2013年8月、府中市美術館)

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