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中根雪江 写真

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中根雪江 写真

大分類写真
中分類古写真(人物)
解説中根雪江(なかね ゆきえ(せっこう)、1807-1877)は幕末の福井藩士。漢学(中国の古典的思想を研究する学問)・国学(日本固有の文化や精神を研究する学問)を熱心に学び、和歌にも秀でていた。天保9年(1838)、松平春嶽が11歳で越前松平家の養子となり藩主となると、中根は春嶽の御用掛としてその教育の任にあたり、信頼を得る。藩政改革を積極的に進め、藩費の支出削減、学問の奨励、人材登用などを実行した。同時に西洋の科学技術導入にも熱心で、笠原白翁の天然痘予防のための種痘の普及や橋本左内らの活動の支援などを行った。
 幕府や諸藩にも幅広い人脈を持ち、13代将軍家定の将軍継嗣問題や公武合体運動、幕府と薩長との対立の仲立ちなど、春嶽の側近として幕末の政治に大きく関わった。
 明治新政府では徴士参与、内国事務局判事として出仕するが、翌年に免職。一線を退いて釣りを楽しみとし、『再夢紀事』『丁卯(ていぼう)日記』『戊辰日記』『奉答紀事』など著作活動を行った。

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