笠原白翁使用 堆朱カメラ

大分類美術工芸資料等
中分類工芸(近世以前)
公開解説 福井城下の蘭方医、笠原白翁が所蔵した初期国産写真機で、その外観と装飾に特徴がある。文久3年(1863)頃、美濃の写真師によって持ち込まれたものと伝え、収納箱の裏に、「メリケン弐拾五番」の墨書と、鏡筒内部に名古屋の眼鏡屋「天玉堂」の引札が遺っている。同種の写真機は、国内で4台が確認されており、装飾模様の比較などから、同一製作者によるものと考えられている。
 「堆朱カメラ」と呼称しているが、実際には木製の筐体に黒漆を下塗りした後、表面に朱漆を塗って堆朱風に仕上げたもの。
 なおキャップの小口面と覆輪の鍍銀が本体側に比べ手ずれによる落ち著しいのは、これが相当な頻度でつけ外しが繰り返されたこと、すなわち本カメラが撮影に頻繁に使用されたことを物語っている。

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