指定有形文化財(書跡) 多賀谷重康感状

多賀谷重康感状

資料番号03-02OTI-03-書11
史料群名落合家文書
資料名(ヨミ)タガヤシゲヤスカンジョウ
資料詳細紙本軸装
資料形態切紙-横・竪
解説多賀谷重康は常州下妻城主多賀谷重経の弟。名宛人は落合家先祖丹後守国方の次代図書助国次。本文の年月日である天正二十年(1592)は途中で改元され文禄元年となる。
この年豊臣秀吉は朝鮮侵攻のため全国の大名に名護屋出陣を命じた。秀吉は重経に対して結城氏配下の武将として扱かってきたが、重経はこれに反目し、病いと称して弟重康を代理として派遣した。落合氏はその重康に従って名護屋に参陣して、この感状を得たものであろう。この感状からは、重康が一軍の旗がしらとして出陣したことが確認される。
直筆か祐筆書きか不明だが、能代では数少ない中世の武家文書として貴重である。落合家は下妻時代から多賀谷氏に仕え、主家が秋田下向の際も同行してきたが、向能代地区へ移住した。
参考文献『能代市の文化財 第三集』(1990.3 能代市教育委員会)
内容今度唐御役 致供候付而 九州肥前国松浦之郡 於名護屋 官途成置候事 天正廿年壬辰七月廿八日 重康(花押) 落合図書助殿
寸法幅500×長さ1200(内 横380×縦264)

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