ツダルスキー 『アルペンスキー術』 第8版 [1911年] ベルリン刊
資料番号 | OB-0281 |
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資料大分類 | オリンピック |
年代分類 | 1910年代 |
関連年月日 | 1911 |
関連人物 | ツダルスキー |
関連場所 | ドイツ |
寸法(高さ、縦) | 135.00 |
寸法(幅、横) | 193.00 |
寸法(奥行き) | 7.00 |
公開解説 | 【極東書店カタログKF-1999a記載内容/リストNo.28 日本にスキーを導入したテオドア・フォン・レルヒの師匠がまとめたスキー解説書ツダルスキー 『アルペンスキー術』 第8版 [1911年] ベルリン刊Zdarsky, Mathias, Alpine (Lilienfelder) Skifahr-Technik. Eine Anleitung zum Selbstunterricht. Achte, methodisch umgearbeitete Auflage. Berlin, Mecklenburg, 1911. <R19-304>/8th edition, 98pp, original blue cloth binding, stamped by former owner on title page./マティアス・ツダルスキー(Mathias Zdarsky: 1856-1940)は、1856年当時オーストリア領であったメーレン地方のトレビチュ出身で、アルペンスキーの発展の基礎を築いたと呼ばれる人物です。ツダルスキーがスキーに関心を持つきっかけとなったのは、1890年に刊行されたノルウェーの探検家フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Nansen: 1861-1930)の著作『グリーンランド・スキー: 1888~89年の遠征記』を読んでからであり、リリエンフェルトの自宅でスキー用具の改良とアルプス地方の山岳での滑走に適したスキー技術の研究に取り組むようになりました。この改良と研究の成果をまとめて、1896年に世界初のスキー(一本杖)の技術書と呼ばれる『リリエンフェルト・スキー滑走法』(Die Lilienfelder Skilauf-Technik、後にAlpine (Lilienfelder) Skifahr- Technikに改題)を出版しました。この後、ツダルスキーの技術を信奉するアルペン派とノルウェーの技術を信奉する者との間でスキー技術に関する論争が起こり、彼の著作は最終的に 1924年までに17版を重ねることとなり、当時の論争の激しさが窺えます。_x000D_ 因みに1911年に新潟県現上越市、次いで北海道旭川市にて日本で初めてスキー技術を指導したオーストリア・ハンガリー帝国の軍人テオドア・フォン・レルヒ(Theodor Edler von Lerch:1869-1945)もこのツダルスキーに師事したアルペンスキーの信奉者のひとりであり、その習得した技術で日本のスキー普及に貢献しました。ここで紹介する本書は1911年に刊行された第8版にあたり、レルヒが来日した直後に刊行された版であることから、彼もこの当時の最新版を用いて指導に当たっていた可能性も考えられます。こうした観点から見ても本書は日本のスキーの歴史をたどる上で、不可欠な一冊といえます。/参考文献:佐藤隆「マチアス・ツダルスキーの研究」、『明治大学教養論集』200、105-114pp, 1987年】【中京大学図書館書誌情報「クーベルタンのオリンピズムコレクション」 No.28/ [資料ID]0994342/[請求記号]780.69/Ku 11/[書名]Alpine (Lilienfelder) Skifahr-Technik : eine Anleitung zum Selbstunterricht 8. Aufl/[著者名等]von Mathias Zdarsky/Photographische Aufnahmen von Theodor Mark in Scheibbs, Nieder-Österreich/[出版社]K.W. Mecklenburg/[出版年][1911]/[所在]館外配架(中京大学スポーツミュージアム)/[資料種別]図書】 |