公開解説 | 【極東書店カタログCOL-1079記載内容/リストNo.7 嘉納治五郎が1934年アテネIOC総会で東京招致のために配布したアルバム『東京:東洋のスポーツ・センター』1934年東京刊/(Kano, Jigoro), Tokyo. Sports Center of the Orient. Tokyo, Tokyo Municipal Office, 1934. <R18-354>/1934 edition, Oblong Svo, [vi], viii, 88pp, original boards in red cloth with gilt lettered title on the cover, top edge gilt./本商品「Tokyo: Sport Center of the Orient」は、1934年のアテネでのIOC総会において、日本のオリンピック・ムープメントの父と呼ばれている嘉納治五郎が各国IOCの役員に対して1940年の東京オリンピック招致に対して支持を取り付けるために配布していたといわれているアルバムです。日本は1932年IOCロサンゼルス総会で1940年のオリンピック開催都市に正式に立候補し、その翌年には招致アピールのためのアルバム「Tokyo: Sport Center of the Orient」の発行を行います。現時点でこの「Tokyo」は、発行年が1933年のものと、1934年発行の本品、1935年の三種類が確認されています。これまで弊社が取り扱ったことのあります「Tokyo」の1933年版と1934年版とを比べてみると、オリンピック招致活動を打ち出した当時の東京市長永田秀次郎のアピール文章に始まり、東京と日本のスポーツ文化施設を中心に英語解説と写真を添えて紹介するという、内容では基本的に相違の無いつくりとなっています。外見に関していえば、1933年版がクリーム色かかった白地なのに対して、1934年版は赤地に薄布を施した手の込んだ装丁となっています。これは1933年版の白と1934年版の赤を組み合わせて、日本の国旗の配色である日の丸を意識したつくりであったとも、もしくは日本の伝統的な勝負事や対抗する配色といわれる紅白を意識していたとも考えられますが、現時点で確定的なことは解りません。同じ内容の書籍であっても作り手の遊び心を感じさせ、様々な可能性が想像できる典味深いつくりであるといえます。なおアルバムによる招致戦略は、1935年2月に1940年開催地を決定する予定であったIOCオスロ総会に先立って配布された、日本全体をテーマとした西陣つづれ折の豪華アルバムで頂点に達することとなります。嘉納がこの「Tokyo」のアルバムを配布していた1930年代初頭は世界情勢が不安定の度を増し始め、現実の政治情勢がスポーツ界にも影響が出始めていた時期でした。1933年のヴィーンでのIOC総会では、同年にドイツで政権を取った国民社会主義ドイツ労働者党によるユダヤ人差別がテーマとなり、極東オリンピックとも言われた「極東選手権」が、日本の関東軍の謀略によって誕生した満洲国の参加をめぐる対立から1934年の第10回大会を持って中止に追い込まれていました。本書は、こうした厳しさを増す時代状況にあっても日本がスポーツの祭典を開催する意気込みを世界に示し平和を希求していたひとつの証であり、その人たちの想いが1935年の日本を紹介した哀華アルバムの発行へとつながっていったのではないでしょうか。日本のオリンピック招致活動の意気込みと本気さ、その一里塚となった本商品の購入をお勧めします。参考文献:橋本一夫『幻の東京オリンピック』日本放送出版協会、1994年】 |
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