ナタン・アリトマン

作家名(よみ)なたんありとまん
作家名(英語)Natan Al'tman
生地ヴィーンヌィツャ(ロシア[現ウクライナ])
生年1889
没地レニングラード(ソヴィエト)[現サンクトペテルブルク(ロシア)])
没年1970

作家解説

貧しいユダヤ人の家に生まれ、4歳で父を亡くす。1902-07年、オデッサの美術学校で学ぶ。1910-11年にパリの個人のアトリエで学び、「ワシーリエワ自由ロシア・アカデミー」に通い、シャガール、アーチペンコなどと知り合う。この時期とりわけキュビスムの影響を受ける。1906年から展覧会に出品するようになる:ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール(パリ、1911年)、「芸術世界」(1913、15、16年)「青年同盟」(1913-14年)、0.10最後の未来派絵画展(1915-16年)、ろばの尻尾(1916年)。1914年キュビスム様式で《アンナ・アフマートワの肖像》を描く。1912年にペテルブルクに移住。1914年、1916年以降、舞台装飾家として活動し始める。1917年の革命以降、ペトログラードやモスクワで革命の祭典のデザインに参加。1918年、10月革命一周年を記念して宮殿広場に一時的な建築彫刻を制作。マレーヴィッチらとともに人民教育委員会のイゾ(造形芸術局)の委員となる。1920年、マレーヴィチやタトリンらとともにインフク(芸術文化研究所)のメンバーになる。1921年、モスクワに転居。1920-28年、イスラエルのハビマ劇場とモスクワの国立ユダヤ劇場の舞台装飾を行う。1925年、エクステㇽ、ソニア=ドローネーらとアール・デコ展に出品。1928年パリに移住し、35年にモスクワ、36年にレニングラードに戻る。1968年、ロシア・ソビエト社会主義人民共和国名誉芸術家。

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