先祖由緒并一類附帳

文書群名加越能文庫
分類1藩士
分類2家格・系譜
史料番号16.31-065
枝番(始)9718
枝番(終)9729
作成年代等明治初年
形態帙入
点数13380
内題・刊次【帙484】
・藤田三十郎(正明)、求馬安定、2,000石、M3、42才、16丁、※2冊
・藤田しけ、元甫、22俵、M8、6才、大連寺、7丁
・藤田繁、武吉、120石、M7、20才、実成寺、5丁
・藤田治朔(治左衛門、定久)、与三次、20俵、M3、42才、仰西寺、8丁
・藤田七九郎(七兵衛、一元)、七助、2人扶持、M3、55才、願称寺、3丁
・藤田七郎(一林)、作次郎、20俵、M3、20才、実成寺、7丁
・藤田重五郎(安貫)、新蔵安行、500石、M3、35才、高岸寺、13丁
・藤田重作(重左衛門、勝之)、磯兵衛門、11俵、M4、72才、成学寺、3丁
・藤田春堂(正儀)、与三之助、8俵、M4、37才、広済寺、8丁、2冊
・藤田俊平(貞之丞、寛知)、作次郎、20俵、M3、17才、本浄寺、3丁
解説・備考・キーワード・人名藩士の先祖由緒帳は、正保4年(1647)3月を初めとして何回も提出されているが、ここに一括したものは明治3年(少数はその前後)に金沢藩庁に提出された原本である。その内容は、まず当主の略歴にはじまり、遡って先祖以来の系譜と略歴、ついで当主の4親等(1部)までの親族を書きあげたもので、巻末に別載した事項の外に、当主の本国、生国、定紋、住居同姓者の記されたものもある。ただ、明治3・4年の藩士(陪臣を含む)の数は、士族卒族合せて1万7千余戸と見られるが、ここに載せたものは11,761点(『加越能文庫解説目録』記載点数、単位は「戸」とした方が把握しやすい)で、凡そ3分の1を欠いたことになる。
マイクロ番号540

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