下原洞穴

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下原洞穴遺跡

名称(ヨミ)シタバルドウケツイセキ
中分類洞穴遺跡
小分類貝塚前期(縄文)
所在地西阿木名 下原
時代・年代貝塚時代前1期~前3期(縄文前期~中期)
遺産概要 下原洞穴遺跡が所在する天城町西阿木名には大きく2つの段丘が認められ、標高約150mの西阿木名集落が立地する段丘(糸木名層)と、その西側にあって通称「シューバル(下原)」と呼ばれる一段低い段丘(亀津層)がある。この二つの段丘の境は約40~60mの高さの崖となり、この崖面が南北に屏風のように延びている。この崖面には、多くの洞穴が形成されており、下原洞穴遺跡もこの崖面に開口した洞穴に立地している。
 下原洞穴遺跡は海岸から約500m内陸に位置しており、洞穴の入り口は、幅約27m、高さ約1~5m、奥行は約3m~20mと比較的浅く、標高は約90mとなる。洞穴の前面には、洞窟の天井が崩落してできるドリーネと呼ばれる直径30mほどの窪地が広がっており、下原洞穴遺跡は崩落を免れてドリ-ネの周りに残った洞穴であると考えられている。
 下原洞穴遺跡からは、三つの貴重な発見が得られている。一つめは、3,300~3,800年前の葬られた人骨が3体以上みつかったこと、二つめは、6,000年前の地層から石を研磨して作られた矢尻を製作していた痕跡がみつかったこと、三つめは、今のところ徳之島で一番古い土器である南島爪形文土器よりも古い地層から、新しいタイプの土器が発見されたことである。
 下原洞穴遺跡から見つかった人骨は二つのお墓から出土している。1号墓からは、洞穴の奥に男性人骨と女性人骨が一体ずつ並んで見つかった。これらの人骨は、地表面から深さ5cmほどの非常に浅い地点で発見されており、遺体を洞窟の奥にそのまま安置し、それに少量の土砂をかけ葬られたと考えられている。もう一つの2号墓は、洞穴の奥の壁に接するように、「コ」字状に石を並べ、その中に遺体を安置して葬っている。これらの人骨のなかから、焼けた人骨が見つかっており、洞穴の奥に安置された人骨が白骨化した後に、一部が火にかけられ、当時の死者の葬り方を考えるうえで貴重である。
 お墓の下には約6000年前の地層があり、そこからは、大量の矢尻が見つかっている。下原洞穴遺跡で暮らした人々は、遺跡近くの海岸でとれる粘板岩を遺跡に持ち帰り、そこで矢尻の製作を行っていたようで、製作途中の矢尻や、矢尻を製作するために粗割りした石など、矢尻を製作する過程でできる石のカケラが多く見つかっている。また、矢尻を製作するうえで必要となるハンマーやドリル、砥石などの道具類も一緒に出土している。遺跡からは、イノシシやアマミノクロウサギの骨が数多く出土しており、下原洞穴遺跡で暮らした人々は、これらの矢尻を用いるハンターであったと考えられる。
 最も注目されるのは、南島爪形文土器よりも古い地層から出土した、新しいタイプの土器の発見で、徳之島の土器起源がさらに古くなる可能性を示していると同時に、これまで誰も目にすることができなかった時代の内容が明らかになる可能性がある。
文献・資料〈参考文献・資料〉
●埋蔵文化財情報データベースhttp://www.jomon-no-mori.jp/kmai_public/

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