八幡宮本殿 附 棟札

分類国指定
種別建造物
所在地岡崎市福岡町
所有者八幡宮(福岡)
指定年月日T15.4.19
時代江戸前期 元和5年
詳細解説俗に土呂八幡宮ともいう。社伝によれば、永禄6年(1563)3月三河一向一揆の兵火にかかり焼失したが、徳川家康は家臣石川数正を遣わして再興させたという。現在の本殿は、棟札によれば、元和5年(1619)幕府の代官畔柳寿学の造営で、大工は河北次郎兵衛守定であることが知られる。
本殿は三間社流造、屋根は檜皮葺で南面する。規模は間口3.112m、奥行2.748mである。流造は、県内では最も広く分布する本殿形式で、切妻造平入の前面屋根を流れるように延ばして庇柱を立て、木階と浜床を庇で覆い、主屋正面は1間ないし3間として、板扉を入れ、他の柱間を板壁として、周囲に高欄付の縁をつける形式である。この建物では、主屋柱は丸柱を用い、正面は3間で、内部は前室と内陣の2室に分けられる。前室では正面が開放され、内陣正面では両開き板扉をつる。組物は舟肘木を用い、妻飾は虹梁大瓶束(こうりょうたいへいづか)である。庇柱は角柱で、組物は出三斗(でみつど)を用いる。軒は二軒繁垂木(ふたのきしげだるき)である。この建物では、木割が比較的小さいうえに建ちが高いので優雅な印象を抱く、江戸時代初期の遺構であるが、保存状態がよく、木鼻・実肘木・手挟(たばさみ)の絵様や刳型(くりがた)の古風な手法に当地方の室町後期の伝統が伝えられている。(沢田多喜二)

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