八幡宮本殿

分類国指定
種別建造物
所在地岡崎市上地町
所有者八幡宮(上地)
指定年月日T15.4.19
時代室町後期 永禄7年
詳細解説通常、上地八幡宮という。創立は明らかでないが、社伝によれば、当地豪族大見藤六屋敷内の小祠に戦勝祈願をした源範頼が、三河守護に任じられてより、建久元年(1190)社殿を寄進建立したと伝えられる。本殿は、建築様式から判断して室町時代後期の建立とされ、永禄6年(1563)三河一向一揆の際の兵火を免れ、その後、江戸時代に入って明暦元年(1655)には修理の手が加えられ、元禄13年(1700)の修理では彩色塗が施された。社殿は、南向きに建てられ、拝殿の後方に本殿を置き、透塀で囲んで神域をつくり、その正面に中門が建てられる。
本殿は三間社流造、檜皮葺で、規模は間口2.76m、奥行3.01mである。流造は、切妻造・平入の屋根の前面を延長して庇柱を立て、木階や浜床を覆い、主屋の周囲に高欄付の廻縁をとりつけるのが特徴である。この本殿では、主柱は丸柱で、組物に舟肘木(ふなひじき)を用い、内部は前室と内陣の2室に分けられ、前室では柱間を開放し、内陣正面では両開き板扉が吊られる。妻飾りは虹梁大瓶束である。庇柱は角柱で、組物は出三斗を用い、軒は二軒繁垂木である。この本殿では、木割が小さく建ちが高い印象を持つ。また象鼻・手挟(たばさみ)・海老虹梁(えびこうりょう)などの絵様や刳型(こがた)に古風な意匠が見られる。また、八幡宮(土呂)本殿とは平面形式や意匠などに多くの共通点がみられ、当地方の室町時代後期の特徴を知り得る貴重な遺構である。(沢田多喜二)

PageTop