牛久保の若葉祭

分類県指定
種別無形民俗
所在地豊川市牛久保町
所有者八幡社
指定年月日H21.1.23
時代室町
詳細解説若葉祭は豊川市牛久保町の氏神、牛久保八幡社の例祭である。祭りは4月7、8日に近い土曜日、日曜日に行われ、前日を宵祭、翌日を本祭と称している。元禄14年(1701)に中神善九郎行忠が著した『牛窪密談記』(豊橋市中央図書館所蔵本)にも4月7、8日が祭日と記されているので、古くから続く卯月八日の祭事であったことが分かる。この祭りでは、天王社に祀られる獅子頭を宵祭の時に八幡社へ迎え、翌日の本祭に八幡社の神輿とともに天王社へ送り、その神幸にともなって氏子4組がダシと呼ばれる町印を先頭に、それぞれ特色ある祭礼風流を展開する。
氏子4組は上若組、下中組(西若組)、神児組(通称裏町組)、笹組(通称寺町組)で、以下の出し物を出す。上若組と下中組は大山と囃子車で、前者の大山ではそれぞれ「かくれ太鼓」を行う。神児組は神児車で神児舞を舞い、笹組は笹踊りにヤンヨウガミが加わる。
大山は東三河地方の古い山車の要素を残すものである。懸装品として二階の高欄正面から布団を飾る山車風流は、この地方の大山や山車でも他に例がない。さらに二層の山車の中で行うかくれ太鼓は、稚児舞が独自に発達したもので、唐子の衣装を身につけた稚児が、高欄から身を乗り出して危険な所作を人形振り的に演じるところに特色がある。
笹踊りは大太鼓1人、小太鼓2人が風流歌に合わせて踊る拍子物風流の芸能で、県内では東三河のみに分布している。囃子方であるヤンヨウガミが笹を持ち、最後には所かまわず寝転ぶ。その寝転ぶ姿はウナゴージ(うじ虫)に似ていることから、若葉祭が「うなごうじ祭り」とも呼ばれる所以である。
祭りを支えているのは氏子総代、祭事係、青年会、宮役、楽人であり、中でも青年会は若い衆とも呼ばれ祭礼風流の担い手として活躍している。大山、囃子車、神児車は車堂、神輿など神具は八幡社の宝蔵庫、ダシや幟・提灯など組の祭礼道具は会所で保管される。会所は組ごとに祭り会所、若い衆会所、子供会所があり、若い衆会所は青年たちによって管理、運営され、この祭りの練習もここで行われている。
若葉祭における大山とかくれ太鼓、神児車、笹踊りは、東三河における祭礼風流の特色をよく表している。なかでも笹踊りは、中世以降に畿内で流行した拍子物風流の影響を伝えるものである。大山のかくれ太鼓は東三河の山車芸能の特色で、その多くは大人が演じている。若葉祭は稚児が演じることから濃尾平野に分布するダンジリ(車楽)の稚児舞とも関係があり、この地で独自に発達したものである。それは、京の祇園祭で見られた鉾における稚児舞の地域的変容を考える上から、芸能史的にも貴重である。祭礼では祭礼青年や子供が重要な役割を担うが、牛久保の若年層の祭りへの参加、継承への意欲が高いことも評価できる。
なお、若葉祭は氏子域の変化とともに昭和24年、獅子頭を迎え送る場所が隣接する下長山町の熊野神社から、現在地の天王社に変わった。また、祭りの行列が交通事情の変化により、昭和40年頃には現在の道に移動した。こうした社会情勢の変化にともなう細部の変化は見られるものの、祭礼執行の基本形を良く伝えている。
このように、牛久保の若葉祭は、東三河地方の祭礼風流の特色を良く残すものである。

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