賦山何連歌(杜若連歌)

分類県指定
種別書籍・典籍
所在地知多郡阿久比町卯坂
所有者洞雲院
指定年月日H22.8.27
時代室町後期
詳細解説本書は、安土・桃山時代の連歌の第一人者、里村紹巴(大永4~慶長7(1524~1602))が、永禄10年(1567)4月28日(百韻の端作り)、富士一見の旅の途上に刈谷の無仁斎邸に招かれて興行した連歌を、帰洛後、この連歌のために下絵所で豪華な絵懐紙を作成、自ら清書し、興行主の無仁斎(水野信元の重臣で上田氏)に贈ったものと見られる。
里村紹巴は、織田信長をはじめ権力者との交渉を深め、豊臣秀吉に近づいて宗匠となり、天下の連歌を支配したが、紹巴の死後、江戸時代になると、連歌は形骸化、固定化したので、連歌最盛期の最後の連歌師というべき人物である。
本書は、当初、懐紙であったものを縦18cm、横408cmの巻子に仕立てており、第二折裏と第三折表の間は糊が剥がれている。なお、発句にちなむ杜若を初折に、各折それぞれに花鳥虫草木を、金銀で下絵に描いた華麗な絵懐紙である。現状の巻子に仕立てられた時期は明らかではないが、同様の事情で製作された天理大学附属天理図書館蔵「賦何路連歌」も巻子の形態となっているので、紹巴自身が巻子に仕立てて興行主に贈った可能性が高い。
紹巴の句は、発句集『紹巴発句帳』及び自作自注の『称名院追善千句』『毛利千句』によって知られるが、付句集などは残っておらず、『紹巴富士見道記』なども発句しか記されていない。さらに、『紹巴富士見道記』に記された連歌会の懐紙は、本書と、帰路の7月9日に長坂弥左衛門興行の「賦何路連歌」(天理図書館蔵)及び出立前の正月29日近衛前久邸で行われた「賦何人連歌」(松平文庫蔵)の三書しか残っていない。これらの点において、紹巴の関与した連歌の全容を伝える本書は貴重で、国文学史、連歌研究上の重要な文献と言えよう。
また、三書とも、紹巴自筆の清書で、巻子仕立で伝存しているが、特に、本書は豪華な絵懐紙が使われている。この絵懐紙は、連歌を清書するために、紹巴が特注したと思われ、興行主無仁斎への深い配慮が窺われる。このことより、紹巴と地方有力者との連歌を介した交流の実態、さらには、当時のこの地方の文化活動の一端を知ることもできる貴重な資料であると考えられる。
なお、現所蔵者の洞雲院に入った事情は不明だが、同院は水野忠政の娘於大の方が再婚した坂部城主久松家の菩提寺であり、水野家・久松家を介して、於大の方の遺品などと共に同院の所蔵となったのであろう。

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