銅水瓶

分類県指定
種別工芸
所在地西尾市亀沢町 西尾岩瀬文庫(寄託)
所有者実相寺
指定年月日H13.8.24
時代鎌倉~南北朝
詳細解説法量 高27.9㎝ 口径8.4㎝
 銅径14.6㎝ 高台径10.7㎝
 注口座 縦5.4㎝ 横4.3㎝ 注口高11.1㎝
青銅、鋳造後、轆轤により削り仕上げを行う。表面には黒漆を塗布しているが、これは後世の作業と思われる。
朝顔形に広がる口から、細くくびれた頸部、そして卵形の胴部へとつながり、胴のやや上位に途中に一つ括りをもつ注口を付ける。この形式の水瓶は、主として禅宗などの寺院で行われた布薩会において身体を清める浄水を入れるために用いられた(従前の仏具研究で「布薩形水瓶」と呼ばれるのはこの理由によるが、実際布薩に用いられる水瓶はこの形のみに限定できず、またこの形式の水瓶が布薩のみに用いられた訳ではないので、この呼称を作品の一般呼称とするのは適当でない。)
形状の酷似する例として、滋賀県宝厳寺水瓶(弘安十一年(1288)刻銘)、奈良県東大寺水瓶(嘉元三年(1305))が挙げられる(いずれも重要文化財)。本品はこれらに比べ、口縁帯に一条、頸部・胴部に子持三条の突帯をめぐらす点は同様であるが、肩の突帯のみ、三条のうち上段一条の表現を省略している。また胴の子持三条のうち中央帯を通例より出を強く表現している。また、口の広がりに対して胴の張りがやや弱く、量感がわずかに劣る点などを勘案すると、上記二例よりも若干下降する時期、十四世紀前半の製作になると思われる。
とはいえ、この形式の水瓶が寺社に伝存する例は、やや形状を異にする滋賀県弘法寺水瓶、同聖衆来迎寺水瓶、奈良県法隆寺水瓶、愛媛県大山祇神社水瓶などを加えても十指に満たず、実相寺水瓶は全国的にみてもきわめて希少価値の高い遺品といえる。また実相寺が、中世に布薩会を盛んに行った京都東福寺の聖一国師を開山とし、同寺の法脈につながりつつ推移したことを考え合わせると、この水瓶が、文献では知られない中世の実相寺の法会の有り様をしのばせる史料的価値をも有していると結論づけられる。
なお注口部分は、座の複弁連弁飾りを鋳離しの状態で表現しており、通例のごとき鋳造後の鏨による彫り出しと造形法が根本的に異なっている。蓮の蕊が長方形と刻線を連ねるだけの形骸化した表現であること、銅質(色見)に若干の差が認められることからも、注口全体が後に補われたものと判断せざるをえない。また底板も後世に入れ替えられている。
しかし、かかる後世の修理を経ているとしても、それはとりもなおさず、実相寺において本品が常に大切な法具として用いられ続けてきたことの証なのであり、上でも挙げた工芸史的、歴史的価値を損なうものではない。

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