御深井釉唐草文双耳水甕

分類県指定
種別工芸
所在地瀬戸市蔵所町 瀬戸蔵ミュージアム(寄託)
所有者定光寺
指定年月日H4.2.28
時代江戸中期
詳細解説器高 40.8㎝ 口径 長径 70.1㎝ 短径 58.1㎝ 底径 51.4㎝
水抜孔 2.8㎝×3.2㎝
もとは開山堂(尾張名所図絵参照)に在って、御開山覚源禅師に対する早朝行事(洗面 献湯など)に使用する水の容器であったという。寺伝では中国からの帰化人である陳元贇の作となっている。
胴の上下に二重の丸彫沈線を施し、その間に丸彫唐草文を配する。また、胴の長径側の中央よりやや上に柏葉形の双耳を付している。
御深井釉を全体に掛け、内外に兎の斑釉が流し掛けされている。
この年代観を取ると、寺伝との間に大きい開きを生ずることになる。すなわち、寺伝にいう作者陳元贇は寛永15年(1638)、尾張藩主に客事し、御庭焼御深井焼に関係したといわれ、寛文11年(1671)、85歳で没している。とするならば、この水甕は17世紀中葉代の作でなければならない。
しかし、このような大型の水甕は、江戸時代の瀬戸窯においては18世紀後半代から主として瀬戸村(岩右衛門窯・勇右衛門窯など)において焼かれていて、それより遡る資料は知られていない。瀬戸より古い資料として「明和二年(1765)」銘の美濃焼水甕が伝世している。定光寺所蔵の水甕は、この明和2年銘水甕や瀬戸村焼造の水甕と比較した場合、胴部に反りがなく、口縁端部も水平に切り立っていて、内側への張り出しが認められないところから、形式的にみてそれより遡ることは間違いないところであろう。しかし、釉薬からみた場合、本器のような御深井釉に兎の斑釉流し掛けをする手法は瀬戸・美濃を通じて17世紀末葉を遡り得ないことも多くの古窯出土品から知られるところである。したがって、本器は18世紀前半の製品と考える。
以上のように、本器は寺伝と年代の上で大きく食い違うものの、現在知られる御深井釉水甕の中では最も古いものであり、その大きさにおいても類例を知らない。恐らく、瀬戸村のいずれかの窯で特別注文に応じて製作されたものであることには疑い得ない。よく完好な形を留めており、資料的価値は極めて高い

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