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七宝下絵(あま市七宝町伝来)

分類県登録
種別歴史資料
所在地あま市七宝町遠島十三割2000番地 あま市七宝焼アートヴィレッジ
所有者あま市
指定年月日R8.2.10
時代明治時代~大正時代(19世紀~20世紀)
詳細解説 愛知県あま市および名古屋市を中心とする地域で制作されている尾張七宝は、現在、国の伝統的工芸品に指定されている。尾張七宝は、江戸時代の天保年間(1830~1844)に尾張藩士の梶常吉(1803~1883)によって始められた。尾張国海東郡服部村(現名古屋市中川区富田町服部)で鍍金業に携わっていた常吉は、古書を通じて七宝焼の研究を重ね、1833 (天保4)年に有線七宝の技法を完成させた。その後、海東郡安松村(現あま市七宝町安松)の佐藤半三郎や、海東郡遠島村(現あま市七宝町遠島)の林庄五郎(1835~1896)から塚本貝助(1828~1897)、林小傳治(1831~1915)へと伝授され、尾張七宝は地域の産業として確立されていった。
 明治政府は殖産興業を掲げて美術工芸品の輸出拡大を積極的に進め、その中心となったのが、各地の金工、陶芸、七宝、蒔絵などの生産会社だった。明治の中頃には、七宝が重要輸出品目の一つに数えられており、政府による美術工芸品の振興政策の一翼を担うことになる。19世紀後半に欧米で開催された万国博覧会や国内の内国勧業博覧会などに出品された尾張七宝は、数々の受賞を重ね、まさに博覧会とともに発展していったといえる。
 あま市七宝町伝来の「七宝下絵」113件は、明治期の七宝窯元に残されていた資料で、海東郡沖ノ島村(現あま市七宝町沖之島)の粂野忠三郎家七宝下絵69件と、海東郡遠島村の伊藤常三郎家七宝下絵44件である。各下絵の使用年代は不明であるものの、それぞれの七宝窯元としての活動時期から、粂野家旧蔵資料は明治中頃、伊藤家旧蔵資料は明治~大正期にかけて使用されていたものと推定できる。
 粂野忠三郎家七宝下絵69件は、七宝工の粂野忠三郎(?~1909)の活動時期に使われていたと考えられる。粂野忠三郎は、1881(明治14)年第2回、1890(明治23)年第3回の内国勧業博覧会に出品記録が残るほか、1889(明治22)年のパリ万国博覧会で受章している。本七宝下絵のいくつかには作者銘が記されていることから、日本画の心得がある者が七宝下絵業に携わっていたことが分かる資料である。
 伊藤常三郎家七宝下絵44件は、同じく尾張七宝の草創期に開窯していた伊藤市左衛門の弟、伊藤儀左衛門(?~1878)を始まりとして、常三郎(1859~1919)、常義(1891~1960)の3代にわたる七宝窯元に残されていたものである。伊藤常三郎は、1881(明治14)年の第2回内国勧業博覧会に出品し、1889(明治22)年のパリ万国博覧会において受賞している。「七宝下絵」は、常三郎の活動時期に使用されていたと推測されるが、実際に花瓶などの素地に当てたり、型紙にして写して使用した跡のあるものが多い。また下絵には色を指示する記述も見られ、それをもとに窯元で素地に下絵を描いて制作していたことがうかがわれる。
 これら「七宝下絵」により、実際の七宝制作の工程を知ることができるほか、絵付けに携わった絵師の関わりも推測できるなど、当時の尾張七宝を知ることができる重要な資料であることから、愛知県登録有形文化財として相応しいものと考える。

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