木造十二神将立像

分類国指定
種別彫刻
所在地岡崎市滝町
所有者宗教法人瀧山寺
指定年月日R5.6.27
時代鎌倉時代
詳細解説十二神将はいずれも像高およそ四尺を測り、ヒノキ材の割矧造で、頭体を通して一材を前後に割矧ぎ、一部の像は肩を割矧ぎ、表面は白下地彩色及切金仕上げ、玉眼を嵌入する。通形の著甲像のほか、半裸で諧謔味ある表情や身振りを示すものを交えて多彩で変化に富む群像を構成している。特に生彩ある優れた出来栄えを示すのは通常の甲制によらない逆髪形の二号、三号、六号、七号で、表情や姿態に合せて骨格と筋肉の動きが的確に把握され、鎌倉時代の特徴を示している。三号の閉口して下唇を突出す表情は建保三年(一二一五)康弁作の興福寺龍灯鬼(国宝)、 六号のうそぶくかの表情は文永四年(一二六七)康円作の内山永久寺伝来の国立文化財機構増長天眷属像など十三世紀前半乃至第三四半期頃の作に通じる。表面彩色は当初で、二号前盾上 に表された植物文様化した獅噛、同像の長靴にあしらわれた魚、十一号表甲外区の疾駆する獅 子などは見応えがある。 五号、八号は顔が前付きで腰が太く裾の翻りが抑制されるなど簡明な作風を示し、一号、九号は腰の捻りがやや強いものの腰太の形姿でこれらはいずれも平安後期風である。また四号、十号、十一号、十二号は頭体のバランスが悪く細部の彫りも洗練を欠いている。
このように作風に若干の相違があり複数の手が想定される。しかし前後割矧ぎとする構造は一貫しており、 表面彩色の趣致も同じであることから一具の作とみるべきであろう。
このように本十二神将は『瀧山寺縁起』に記述される仁治三年から建長二年の間に造立された十二神将に当てることに矛盾なく、十二神将の貴重な基準作と評価できる

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