三河国府跡

分類国指定
種別史跡
所在地豊川市白鳥町
所有者豊川市 等
指定年月日R6.2.21
時代平安
詳細解説三河国府跡は、豊川市西部を南北に流れる西古瀬川(さいこせがわ)と音羽川(おとわがわ)によって形成された通称白鳥(しろとり)台地の先端付近に立地する古代三河国の国府跡である。国庁(こくちょう) の正殿(せいでん) と考えられる石組雨落溝(いしぐみあまおちみぞ) を伴う四面廂(しめんびさし) 建物、後殿(こうでん) と考えられる東西棟の大型掘立柱(ほったてばしら)建物 、南西では西脇殿(にしわきでん) の可能性がある掘立柱建物、南東では東脇殿(ひがしわきでん)と考えられる長方形の建物を確認した。これら国庁の主要建物はコの字形配置をとり、掘立柱塀で囲まれる。主要建物の配置や囲繞施設は、その成立から廃絶までの間に大きな変化は認められないものの、発掘調査成果と出土遺物の検討から、主要建物は9世紀初頭から10世紀中葉までの間に3期の変遷が認められる。出土遺物には蹄脚円面硯(ていきゃくえんめんけん) や「國厨(くにのくりや) 」と墨書された9世紀代の須恵器(すえき) 、10世紀中葉に廃棄された緑釉陶器(りょくゆうとうき) 製の陶印(とういん)、緑釉陶器、製塩土器 等、国府における文書行政、給食、饗応(きょうおう) 等に関係すると考えられる遺物がある。
三河国府の国庁が、コの字形の建物配置を採るようになるのは、9世紀初頭であり、その形状を踏襲しつつ10世紀中葉に廃絶することが判明するなど、律令国家の地方支配の拠点となる国府の実態と変遷さらには、古代の地方支配の実態を知る上で極めて重要な遺跡といえる。

PageTop