愛知県立岡崎高等学校正門門柱(旧愛知県立第二中学校正門)

分類国登録
種別建造物
所在地岡崎市明大寺町
所有者愛知県
指定年月日H29.6.28
時代大正後
指定理由花崗岩製の主門柱と脇門柱各2本からなり、西洋建築の意匠に、柱身部はこぶ出し仕上げで和洋折衷の特色を示す。
詳細解説正門は、旧愛知県第二中学校の2代目の正門であり、当初は校地のあった岡崎町戸崎に所在した。その後、生徒数の急増により、現在の明大寺の場所に校地を求め、校舎を新築し、大正14年(1925)に全面移転を完了した。その際、この門柱も明大寺の校地に移築した。ただし、正門の場所は、現在の位置ではなく、校地の南側に設置されている。その後の校舎の建て替えにより、昭和47年(1972)に正門は現在の位置に移設された。
最初に現在の門柱が建てられた時期は、後身である岡崎高等学校に残されている『学友会報誌』のバックナンバーを確認すると、明治43年(1910)発行の同誌では、明治29年(1897)開校時の初代門柱が写っているが、その後、大正5年(1916)頃撮影とされる写真(『目で見る岡崎・額田の百年』郷土出版社、平成4年(1992))では、現在の門柱が写っている。したがって、この間に、初代の門柱から建て替えられたものと判断できる。
門柱は4本とも石造であり、主門柱の高さが3m22cm、脇門柱の高さは2m94cmである。
柱礎、柱身部、柱頭部の3つの部分からできている。西洋建築の影響を受けた洋風表現であるが、柱身部の表面は、四隅だけを平滑に仕上げ、中央部分を凹凸の多い状態に残す「こぶ出し仕上げ」であることから、和洋折衷の意匠が特徴である。表面に浮き出たこぶの部分は、日本の石工が用いる伝統的な仕上げ方法のひとつである「荒のみ切り」と呼ばれる手法で処理しており、凹凸が比較的大きく、また門柱背面には、石を割った際にできる楔(くさび)の跡が見られる。柱頭部は、西洋建築の特に古典系建築の軒蛇腹(のきじゃばら)(コーニス)の如く正確に成形されており、西洋建築の意匠や知識が全国的に流布した時期の特徴を現している。
南側主門柱の柱礎石構内側には、「石工杉浦磯治」と刻まれている。この名前の「治」の下は舗装面で埋もれており、もう一文字刻まれている可能性もある。岡崎高等学校の調査では、類似する氏名の石工として杉浦幾治郎(明治21年~昭和47年(1888~1972))という石工が岡崎市内に在住していたことが判明している。

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