蓮教寺庫裏

分類国登録
種別建造物
所在地名古屋市名東区高針
所有者宗教法人蓮教寺
指定年月日H29.5.2
時代江戸後
指定理由本堂の東側に位置し、内部は床(とこ)と付書院のある格の高い仏間を備える。
詳細解説法雲山蓮教寺は、日進市や長久手市にほど近い、名古屋市名東区高針に位置する。平安時代長徳年間(995~998)に創建し、当初は天台宗に属し、高針山と号した。永禄元年(1588)または同4年、真宗高田派に改宗し、蓮教院、蓮華蔵教院、明眼寺とも称された。元和初年(1615~18)に法雲山蓮教寺と改称し、正徳6年(1716)に現在地に移転した。現存の伽藍は、大部分が宝暦(1751~64)から文化(1804~18)年間に、寺門隆盛に伴い段階的に整えられた。『尾張名所図会』(天保12年(1841)刊行)にも紹介されている。伽藍は南に傾斜した丘陵の中ほどに位置し、敷地南側から参道の石段、山門、本堂が直線状に並ぶ。本堂の北側に書院、東側に庫裏が配置され、庫裏と本堂は太鼓楼(たいころう)付の玄関でつながっている。また、山門の西側に鐘楼があり、さらに西奥に塔頭(たっちゅう)の梵音寺本堂が建っている。
庫裏は、寺蔵文書によると、知多郡布土の大工林平円助とその門弟の幸助・幸七である。木造平屋建、切妻造、桟瓦葺、妻入で、桁行9間半、梁間4間に東西及び北の三方に下屋が付く。西側の中ほどで太鼓楼付の玄関に接続し、北西で本堂・書院と廊下でつながり、北東には別棟の茶室が付いている。南に土間、北は東西3列に分けられ、西側1列は南から「到来の間」、「次の間」、「仏間」と公的な空間が連続する。最奥の「仏間」は、東西に襖を隔てて仏壇を安置し、北側に床(とこ)と付書院を構え、庫裏の中で最も格式のある部屋となっている。一方、東側2列は作業空間・生活空間となり、台所や納戸を備える。外観は、南北・西面が真壁漆喰塗で、東面は後補の鋼板張である。
蓮教寺の伽藍は、江戸時代後期を中心とした古刹の姿を今日に伝える重要な建築遺構である。

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