徳川美術館心空庵及び餘芳軒

分類国登録
種別建造物
所在地名古屋市東区徳川町
所有者公益財団法人徳川黎明会
指定年月日H26.10.7
時代大正前/昭和前
指定理由徳川美術館の東側に位置する。大正博覧会に出品された茶座敷である心空庵と数寄屋風書院座敷である餘芳軒を接続して作る。
詳細解説心空庵及び餘芳軒は、元々は別々の建築を現在地で接続させた建物である。心空庵は大正3年(1914)に東京大正博覧会に出品された茶座敷を、徳川義親氏が寄贈を受け、同年移築したものである。以後、昭和6年(1931)の移築を経て、昭和37 年(1962)に現在地へ移築された。徳川美術館では以前に「心空庵」の名を持った茶席があったが戦災で焼失していたため、昭和37 年に移築したこの建築を心空庵と名付けた。餘芳軒は昭和48 年(1973)に移築された書院座敷で、移築に際して名古屋城二の丸御殿の庭にあった「餘芳亭」にちなんで餘芳軒と名付けられた。
心空庵は木造切妻造桟瓦葺、銅板葺下屋付で、床と文道棚(ふみちだな)が付いた数寄屋に銅板一文字葺きの下屋を出す外観である。間取りは4畳半切りの本勝手で下座床の構えとしている。そこに3畳の板敷の水屋と外部南面にL字型に腰掛待合が付属している。内部は天井を杉板の一節格子天井とし、下屋部分を掛込天井として空間に抑揚をつけ、水屋の天井も杉材荒目一枚板の鏡天井としている。北面の床飾りは、畳床と地板を伴う袋棚の本床とし、袖壁に眼象を空けている。東面の茶道口の襖は縁なしの奉書張り、南面の板戸の上部を竹連子付障子とした躙口としている。西面の下地窓の腰壁は霧島杉の一枚板、床柱や床框には神代(じんだい)材を使用するなど材質の多様さを見せている。
餘芳軒は、木造切妻造桟瓦葺で銅板葺の土庇付きの数寄屋風書院座敷である。間口7.5m、奥行9.5mで南面前面に幅の広い濡縁を張り、土庇をかける。座敷は客間10 畳、次の間5畳、入側縁4畳とする。客間の床は奥行きの深い畳床で床柱を杉磨丸太、床框を半割丸太とし、床脇の文道棚には地袋と両引き明かり窓が付く。側柱面付柱に半割丸太の長押を回し、南面は引違いの障子欄間と硝子戸の内部に摺上障子を付けた雪見障子とする。

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