中濱家住宅物置

分類国登録
種別建造物
所在地名古屋市緑区有松町
所有者個人
指定年月日H20.3.7
時代昭和前
指定理由主屋東側に連続し、東南角を矩の手に折れ曲がる平面とする。建築面積37㎡、平屋建、招屋根、桟瓦葺である。玉石積上に建ち、腰を簓子下見板張とし、小壁を黒漆喰塗とするなど、通り側外観は板塀と同様の構成になり、敷地周囲の意匠の統一が図られている。
詳細解説慶長13年(1608)に東海道の池鯉附宿と鳴海宿間の茶屋集落として開村された。宿場町の間にあることから合宿(あいのしゅく)とも呼ばれる。このため、有松は絞り染めを特産として製造販売した。明治時代には絞り染めの販路が拡大し、栄えた。
町並みは、江戸時代の天明4年(1784)の大火で多くが焼失したが、次第に復興を遂げ、切妻造、平入、塗籠造の町家で構成される町並みが出来上がった。中濱家住宅は、愛知県指定有形文化財の服部家住宅(井桁屋)の西側に位置し、東隣の神半邸などとともに、この界隈の町並み形成上、重要な役割を果たしている。
中濱家住宅は、もともと、絞り問屋山田家住宅の建物で、明治5年(1872)、絞り販売を始めたと伝えられ、屋号は「ヤマヨ」。平成16年(2004)に中濱家が絞り販売の店舗兼用の住宅として山田家住宅を購入し、現在に至っている。
中濱家住宅は、旧東海道有松の北側に位置しており、主屋を中心に西側に土蔵、東側に塀・物置と、有松の大規模な絞り問屋に見られる典型的な屋敷構えとなっている。
中濱家住宅の主屋東側には、かって、絞り問屋として、絞りの作業場、作業庭、従業員の居室、物置などがあった。しかし、現在では、そのほとんどが取り壊されて、旧東海道に面する物置が残されているのみで、かっての作業場や作業庭は駐車場となっている。この物置は、塀も兼ねた、長屋塀となっているため、町並みの連続性を確保する上で重要な役割を果たしている。

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