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名古屋大学医学部附属病院門及び外塀(旧愛知県立愛知病院通用門及び外塀)

分類国登録
種別建造物
所在地名古屋市昭和区鶴舞町
所有者国立大学法人名古屋大学
指定年月日H19.10.2
時代大正
指定理由名古屋大学鶴舞キャンパス敷地の南東にある。門柱、塀とも煉瓦造で昭和5年(1930)にスクラッチタイルとテラコッタで改修された。タイルは釉薬が施され、高いデザイン感覚とともに材料品質もよい。テラコッタ装飾は立体的かつ幾何学的な意匠を示す。
詳細解説名古屋の堀川端につくられた愛知県立医学専門学校と県立愛知病院は年々狭隘(きょうあい)となり、明治41年(1908)、愛知県会で移転案が可決されるに至った。移転計画は、新敷地の東側に病院を、西側に医学専門学校を配置するものであった。こうして、鶴舞公園北側の現在地への移転工事が始められ、大正3年(1914)に完成した。
現在の名古屋大学医学部キャンパスの南側道路に面して、西側から愛知県立医学専門学校正門・外塀、県立愛知病院の正門・外塀、さらに、病院通用門・外塀が並んでいる。通用門の東側には、往時の塀がやや長く残されている。設計は西原吉治郎を中心とする愛知県営繕課職員。
大正9年(1920)、愛知県立医学専門学校は愛知医科大学に昇格。さらに、官立名古屋医科大学を経て、昭和14年(1941)、名古屋帝国大学医学部、戦後、名古屋大学医学部となった。
名古屋大学医学部鶴舞キャンパスの東南部は、大正9年(1920)、愛知医科大学昇格後の整備にかかるものとされる。従って、旧愛知県立病院通用門及び外塀はそれ以後の建設とされる。通用門の間口は約7.4mで、2基の門柱を立てる。脇門周囲の塀の意匠は他と同じで、その延長は約55mと長い。また、門柱の意匠は塀と同じであることから、ほぼ同時期のものであろう。大正10年(1930)以降に造られたとされる。(瀬口哲夫)

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