料亭河文用々亭

分類国登録
種別建造物
所在地名古屋市中区丸の内
所有者株式会社河文
指定年月日H17.2.9
時代昭和中
指定理由主屋北西に位置し渡廊下で連絡する。平屋、切妻造、桟瓦葺一部銅板葺で、6畳主室の南を幅1間弱の廊下とする。柱や桁に丸太を用い、掛込み天井等で変化に富んだ室内を構成し、各面とも大きく開口部を開き茶屋風に造る。小規模で簡素ながら瀟洒(しょうしゃ)な意匠になる。
詳細解説江戸時代、名古屋城下町の魚の棚(うおのたな)通には、「魚の棚四軒」と呼ばれる料理屋が店を構えていたとされる。そのひとつである料亭河文の創建は、約350年前で、初代河内屋文左衛門による。名古屋屈指の老舗料亭とされる。
第二次世界大戦中の名古屋空襲で建物を焼失したが、昭和25~27年(1950~55)にかけて建物が再建され、現在に至っている。設計は篠田川口設計事務所。
用々亭は、「流れ床の庭」の南に位置する。安政年間に焼失した建物を再建する時に、工事用仮小屋として使われた建物を茶室に転用し、初代用々亭とした。無用の物を用立てることから用々亭と名づけられたとされる。
現在の用々亭は、戦後に造られたもの。切妻造、平屋建、桟瓦葺で、軒先部は銅板葺とする腰付屋根となっている。北側妻面には銅板葺の庇が付き、下部に板敷の濡縁(ぬれえん)がある。「流れ床の庭」に対して、北側と東側に開く。
室内は、床の間などの飾は一切ない簡素な6畳間。天井は斜めの掛込天井と平天井で、茶室風の仕立。東側窓には吹寄せの竪桟を持つ障子をたて、西側を障子窓とする。正面北側は網代の腰付障子とし、障子を開けることで視線を庭に集中させる工夫がこらされている。(瀬口哲夫)

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