明治村東京盲学校車寄

分類国登録
種別建造物
所在地犬山市内山
所有者財団法人明治村
指定年月日H15.12.1
時代明治
指定理由ハーフチンバー様式の建物の車寄部分を移築、四阿とする。緩い切妻屋根に花弁と渦巻を組合せた屋根飾りを載せる。天井中心飾りと破風を植物意匠で、持送り、柱の頭部と胴部、腰壁を幾何学意匠で飾る。柱に支持されない3連アーチが目をひく。
詳細解説日本における盲人教育の歴史は明治時代から始まる。明治13年(1880)東京築地に私立の訓盲院が設立され本格的な障害者教育が開始された。築地訓盲院の校舎はイギリス人建築家ジョサイア.コンドルの日本における処女作である。明治18年(1885)、国立となった訓盲院は東京盲唖学校と改められ、小石川指ヶ谷町に移った。のちに盲唖分離を目的として、明治41年(1908)小石川雑司ヶ谷町に東京盲学校が建設されることになり、明治43年6月に本館が完成した。この本館の車寄部分が当建物である。
本館校舎は木造二階建のE字型平面を持つ間口62mにも及ぶ大建築であり、板張りの壁面に柱、桁、胴差(どうざし)等の垂直材・水平材と筋交い等の斜材を浮き出して装飾とするハーフティンバーと呼ばれる様式が使われた明治時代の典型的な学校建築である。設計者は文部省営繕と考えられるが明らかではない。
特にデザインが凝縮された車寄部分は木造、緩い鉄板葺切妻屋根には、花弁と渦巻きを組合せた屋根飾が載る。なお、屋根は移築時に銅板葺に改められた。正面に石段が二段配され、左右は斜路であったが移築復原時に正面同様の石段とされた。天井や破風の植物文様、柱頭、持送り、腰壁の幾何学意匠が美しく全体を纏め、柱に支持されない三連アーチがダイナミックな空間構成を演出している。(石川新太郎)

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