長母寺本堂

分類国登録
種別建造物
所在地名古屋市東区矢田町
所有者宗教法人長母寺
指定年月日H11.11.18
時代明治
指定理由長母寺は平安末期の創建で、鎌倉中期に臨済宗に改宗し、現在に至っている。無住和尚の説教に発するという「尾張万歳」発祥の地として広く知られている。本堂は方丈形式の建物で、濃尾大地震後の再建であるが、由緒ある寺院の中心建築として親しまれている。
詳細解説当寺は、霊鷲山と号し、臨済宗東福寺派に属する。治承3年(1179)山田次郎源重忠が母である長母院のために創立した寺で、古くは亀鏡山桃尾寺と号し、天台宗の寺院であった。その後、衰退した寺を山田道円坊夫妻が七堂伽藍と塔頭(たっちゅう)を建立し、無住を開山として禅寺とし、康永2年(1343)には足利尊氏の祈願所となった。その後、慶安3年(1650)昭山是鑑が再興し、天和2年(1682)には雪渓恵恭和尚が尾張藩主徳川光友の命により再興したとされる。現在の本堂は明治27年(1894)に建立したものである。
本堂は、桁行7間、梁間6間、入母屋造、桟瓦葺、1間向拝付の小型の方丈である。間取りは、幅1間半の広縁を通し、この奥に前後2列、横3室の6室を設け、周囲に濡縁(ぬれえん)を廻らしている。堂前面では差鴨居を渡して引違戸を入れ、内部では柱間に敷鴨居・内法長押(うちのりなげし)を通して小壁を入れるが、前列中央の「室中(しっちゅう)」では両脇の内法上に筬欄間(おさらんま)をはめている。その奥の「仏間」では、前面を柱間3間とし、中央間に虹梁(こうりょう)を渡し、内部では板張りとして中央後方に来迎柱を立て、出組斗栱(でぐみときょう)をのせ、前に須弥壇(しゅみだん)を設けている。この建物は、近代に建立されたもので方丈の規範を守りきれてないが、臨済宗本堂として伝統に対する保守性を随所に見ることが出来る。(杉野 丞)

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