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旧黄柳橋

分類国登録
種別建造物
所在地新城市乗本
所有者愛知県
指定年月日H10.9.2
時代大正
指定理由県内では最初期のRC道路橋で、スパン30mは、大正期における開腹アーチ橋としては最大スパンを誇る。道路荷重をアーチスラブに伝える垂直材をスレンダーなものとし、木井桁のように架構しているところが特徴。県技師の吉田仙之丞の設計と伝える。
詳細解説かって、吉田(豊橋)を起点とし乗本(のりもと)を終点とする舟運が主役であった時代がある。
山村から材木や薪炭(しんたん)が集まり、信州地方に入る塩、綿、砂糖、畳表といった物資の中継地となった「羽根河岸」がにぎわった。明治13年(1880)、運送馬車を通行可能にする県道大改修が行なわれ、別所(べっしょ)街道の黄柳川に長さ21間4尺8寸(39.6m)の木橋が架けられた。大正8年(1919)、永久橋としてRC固定アーチが完成する。
旧黄柳橋の中央支間は30m、平成6年(1994)に下流20mに新築されたRC固定アーチは支間44mである。大正6~8年(1917~19)にかけて、奥三河の渓谷に鉄筋コンクリートアーチが4橋架けられている。どれも床面は木であったが、アーチ面と橋面を支える柱梁は鉄筋コンクリートであった。当時の技術的限界である支間30mに兆戦した本橋では、この木橋風床組が際立つて見事である。
鉄の普及により、この支間は鋼アーチ橋に移行して行く。昭和5年(1930)、下流の寒狭(かんさ)川と宇連(うれ)川合流点に支間42.6mの鉄橋、牛渕(うしぶち)橋が完成している。すでに川湊の面影はどこにもないが、新旧対比して眺められるコンクリートアーチの風景に時代の流れを読み取ることができよう。(近藤昇)

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