名古屋城二之丸庭園

分類国指定
種別名勝
所在地名古屋市中区二の丸
所有者国(文科省) 名古屋市(管理)
指定年月日S28.3.31
時代江戸
詳細解説名古屋城内二之丸にある庭園で、これまで何度も手が加わっているが、築庭後2度にわたる大きな改変があった。築庭はニ之丸御殿の造営に伴う元和元年(1615)頃で、初代義直の傾倒する儒教思想を取り入れた庭園だった。南蛮練(ねり)塀で囲まれた中国風回遊式で、巨岩や園地の間に門、聖堂などの中国風建物や蘇鉄を配した異色の庭園だったといわれる。築山の周りには尾張藩ゆかりの木曽の寝覚めの面影を写したともいう。この庭園は10代斉朝が一橋家から藩主に入った文政年間(1818~1830)頃に改庭され、唐風庭園から茶席などを加えた枯山水回遊式大名庭園となった。
明治になって、陸軍省が入り、築庭当時の建物はすべて失われた。しかし、北庭部分が陸軍省名古屋鎮台将校集会所の北庭として残され、戦後は名古屋大学の中庭として利用されたりして残存してきた。当初よりかなり改変されたが、築山や大形の庭石、青石を用いた石組等が残存していることなどから、昭和28年、国の名勝に指定された。その後昭和42年に名古屋市によって主要部が整備公開され、さらに残されていた東部分も整備され、昭和54年に全面公開された。現存する数少ない大名庭園の一つとして貴重である。指定面積5,137m2。

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