本証寺境内

分類国指定
種別史跡
所在地安城市野寺町
所有者宗教法人本證寺他
指定年月日H27.3.10
時代室町
詳細解説本證寺境内は,三河一向一揆(永禄6年〈1563〉から同7年)にあたり,家康と敵対した中心寺院のひとつである本證寺の境内地である。本證寺は鎌倉時代後期の創建とされ,一揆収束後は,家康による一向宗の改宗命令を拒否したことにより,主要堂宇(どうう)は破却され,坊主衆も国外退去となったと伝えられる。天正13年(1585)の赦免後,慶長7年(1602)の本願寺の東西分派の際には,東本願寺方につき,中本山(ちゅうほんざん)の位置づけを与えられ,三河国の触頭としての役割も担った。
本證寺境内は,本堂と庫裏を囲む内堀と,東西約320m,南北約310mの規模の外堀からなる二重の構造を成すことが,安城市教育委員会による発掘調査や地籍図等の分析から明らかとされている。堀は土塁を伴い,戦国期(16世紀前半)に遡るものである。
本證寺境内は,徳川家康が三河を統一する画期となった三河一向一揆に関わる寺院境内地として重要であるとともに,浄土真宗寺院の伽藍の在り方をはじめ,我が国の仏教信仰の在り方を知る上で重要である。

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