島原藩主深溝松平家墓所
分類 | 国指定 |
---|---|
種別 | 史跡 |
所在地 | 額田郡幸田町大字深溝 |
所有者 | 幸田町他 |
指定年月日 | H26.3.18 |
時代 | 江戸 |
詳細解説 | 島原藩主深溝松平家墓所は,戦国時代に分立した松平氏の一家で,江戸時代に十八松平と称された深溝松平家の墓所である。菩提寺である瑞雲山本光寺(ずいうんざんほんこうじ)と東西の廟所からなる。 深溝松平家は初代忠定(たださだ)が深溝の地を本拠としたことに始まり,4代家忠(いえただ)の時,家康の関東移封に従って深溝を離れるが,5代忠利(ただとし)は,慶長6年(1601)に1万石の大名として三河に戻り,5代忠利から17代忠愛(ただちか)までの13名と明治以降の18代・19代が死没地の何処かにかかわらず,深溝の本光寺に埋葬された。深溝への遺骸の埋葬は,5代忠利の遺命と伝承されている。6代忠房(ただふさ)は寛文9年(1669),肥前島原に転封となった。西廟所の中央に初代から4代までの墓地が置かれ,その東側に5代忠利の肖影堂(しょうえいどう)が建つ。忠房の世子好房の逝去にあたり,吉田神道を崇敬する忠房夫妻によって,神殿型の墓標が西廟所に建設され,以後,歴代当主の墓標形式となった。 6代忠房の正室永春院の逝去を契機に,新たに東廟所が造営される。そこには,西廟所に埋葬された11代忠恕(ただひろ)を除く19代までの当主が埋葬されている。7代忠雄(ただお)墓所の発掘調査で下部構造も明らかとされ,棺内及び棺と石室の間から太刀やガラス杯・銀製香道具等の豊富な副葬品が出土した。 島原藩主深溝松平家墓所は,神殿型の墓標を採用し,墳墓の地に継続して埋葬するという特徴を有しており,大名家の葬送儀礼のあり方を考えるうえで極めて重要である。 |
はじめに
1 文化財ナビ愛知は、県内に所在する国・県指定文化財、国の登録文化財の概要を紹介するものです。
2 解説文は、指定調査の報告書等を基に、愛知県文化財保護審議会委員の監修により作成しました。
3 文化財ナビへのリンク、解説文・写真の引用等については、あらかじめ愛知県県民文化局文化部文化芸術課文化財室にご連絡願います。
※建造物の詳細解説については、愛知県教育委員会が実施した「愛知県近代化遺産総合調査」、「近代和風建築総合調査」に携わっていただいた先生方のご協力をいただきました。なお、この調査の成果については「愛知県の近代化遺産」(平成17年刊行)、「愛知県の近代和風建築」(平成19年刊行)にまとめられています。
愛知県県民文化局文化部文化芸術課
文化財室 保護・普及グループ
Tel:052-954-6783 Fax:052-954-7479
〒4608501 名古屋市中区三の丸3-1-2
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