北野廃寺跡

分類国指定
種別史跡
所在地岡崎市北野町
所有者岡崎市
指定年月日S4.12.17 (S41.3.3追加 S63.12.21追加)
時代飛鳥後期
詳細解説塔跡、金堂跡、講堂跡と推定されるところに心礎、礎石が残存していることから昭和4年に指定された史跡であるが、昭和39年愛知県教育委員会による第1次、第2次の発掘調査の結果、指定地域外で回廊、僧坊の跡や寺域を示す土塁も検出されたので、指定範囲の追加が昭和41年3月3日に行われた。伽藍配置は南大門、中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶいわゆる四天王寺式で、単弁六葉蓮華文軒丸瓦、重弧文軒平瓦が創建当時のものと推定され、飛鳥時代後期に属する寺院跡で三河地方では最古に属する寺院の一つといわれている。史跡整備のため昭和52年(1977)に第3次の発掘調査が岡崎市教育委員会によって行われ、保存整備事業が軌道にのり、段階的に史跡公園化が進められていった。平成3年(1991)には整備事業報告書が刊行された。また史跡公園としての公有化を進める中で、史跡指定範囲の変更を検討する調査が必要となり第4次が平成10年(2002)、第5次が平成14年(2006)と小規模な発掘調査が行われた。その結果当初伽藍の周囲は土塁と考えられていたが、掘立柱状のピットの検出により板塀が構築されていたことが判明した。なお、出土品には、瓦類のほか、小土塔、塼仏、磬形垂飾、鉄釘、須恵器、施釉陶器等がある。

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