三河国分尼寺跡

分類国指定
種別史跡
所在地豊川市八幡町
所有者豊川市
指定年月日T11.10.12(S47.4.22追加)
時代奈良
詳細解説三河国分寺の北東500mにあり、遺跡周辺の小字忍地の地名や土壇や礎石が古くからみられ、金堂跡の存在などが想定されたことから大正11年(1922)、国の史跡指定を受けた。昭和40年代に史跡隣接地で土地改良事業が始まり、史跡の保存が危ぶまれたことから、昭和42年(1967)に愛知県教育委員会による発掘調査が実施された。この結果南大門・中門・金堂・講堂および中門と講堂を結ぶ複式回廊の各遺構が判明し、特に金堂規模は、国分尼寺としては、全国で調査されたもののうちで最大のものであった。こうして史跡南東側が史跡の追加指定を受けることとなった。平成2年(1990)、豊川市教育委員会は保存のための確認調査をした結果、寺域は従来の想定より広い、方500尺程であることが判明した。その後教育委員会では平成8年(1996)~11年(1999)にかけて史跡整備に伴う発掘調査を実施した。その調査結果を踏まえ、伽藍中心部にあった清光寺を遺跡西側へ移転し、中門及び回廊の実物大復元を含む保存整備が行われ、平成17年(2005)史跡公園が完成した。出土品には、単弁八葉蓮華文軒丸瓦、唐草文軒平瓦等各種の瓦類のほか、特異な相貌の鬼瓦、塼、泥塔、須恵器類が発見されている。単弁八葉蓮華文軒丸瓦は、8世紀中~後葉のもので、国分寺造営の詔によってこの国分尼寺も造立されていることを物語っている。これらはガイダンス施設「三河天平の里資料館」に展示されている。

PageTop