絹本著色善光寺如來絵伝

分類県指定
種別絵画
所在地岡崎市菅生町
所有者満性寺
指定年月日S32.1.12
時代室町
詳細解説四幅 縦157㎝、横80㎝
善光寺如來絵伝は、善光寺本尊の一光三尊仏の天竺・百済・日本の三国にわたる伝来と本田善光による善光寺創建の縁起を描いたものである。第一幅は、最上段に、月蓋長者の帰依を示す、釈尊の鷲頭山説法図像を配し、その下に善光寺縁起の天竺・百済編と、日本編の冒頭、一光三尊仏の内裏献上までが展開する。ここでは、下女が釈尊に米のとぎ汁を供養する、いわゆる「貧者の一灯」の場面が含まれている。第二幅は、内裏炎上、疫病流行、物部父子による廃仏毀釈、聖徳太子の父用明天皇崩御、太子出陣など、日本での一光三尊仏の受容をめぐる、さまざまな受難の様相が描かれる。本作品で注目されるのは、童形太子が、病床の用明天皇のために坂田寺を建立したり、柄香呂を捧げて病気平癒を祈祷したりするなど、太子孝養の場面を多く取り上げていることである。第三幅は、上半分に太子と物部守屋の合戦、中~下段にかけて、用明天皇の葬送、一光三尊仏と善光寺大檀那本田善光の邂逅と帰郷が描かれる。「守屋合戦」の図像は、真宗伝来の太子絵伝のものを踏襲している。善光帰郷の場面では、金剛力士に導かれて山中を歩いているが、これは他本に例がない。他にも「黒田観音堂」「座光寺」など、道中での出来事や場面を詳細に描いている点は独特である。第4幅は、善光の息子善佐の頓死および皇極天皇の堕地獄蘇生譚、善光父子の内裏奏上、国司任命までが、下から上へと描かれ、最上段の善光寺伽藍図は、加古川市鶴林寺所蔵の聖徳太子絵伝第二幅と、非常によく似た図様で描かれており、両絵伝の密接な関係をうかがう上で示唆に富んでいる。

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