船頭平閘門 附(旧門扉8枚/旧門扉開閉装置8組/旧給排水扉4枚)

分類国指定
種別建造物
所在地愛西市福原地先
所有者国(国土交通省)
指定年月日H12.5.25
時代明治35
詳細解説船頭平閘門は、明治政府による洪水対策として木曽川と長良川が分流された際、両河川の舟運を確保するために設けられた水路閘門である。政府から木曽三川改修工事の立案を託されたオランダ人技師デ・レーケは、木曽川と長良川とを完全に分流する堤防の建設や分流によって水位差の生じる両河川間の舟運確保には閘門の建設で対応することなどを提案した。政府は、この提案に沿って明治20年(1887)から木曽川改修工事を始め、明治45年(1912)に竣工した。船頭平閘門は、この中で明治32年(1899)に着工し、明治35年(1902)3月に竣工した。
閘門の全長は56.3mで、水位調節時に船や筏が滞留する閘室は、当時の船や筏の大きさを考慮して長さ23.9m、幅5.6mである。
閘門の構造は、門扉を支える閘頭部分を煉瓦造とし、船や筏が接触する可能性のある部分や門扉が接する部分のみに花崗岩を積んでいる。閘室部分は床が石張りで、側壁を木の矢板を打って土留めとし、その上部の側壁は勾配をつけ、城郭の石垣に見られる間知石積(けんちいしづみ)としていたが、平成5~6年(1993~94)の改修時に閘室部分の床の石張り及び石垣が改築させるとともに、門扉が取替えられた。。(西澤泰彦)

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