千住花又瀬崎辺之図(全体)

千住花又瀬崎辺之図

資料ID14942
名称よみせんじゅはなまたせざきあたりのず
年代元禄年間以降
解説記載内容から元禄11年(1698)~享保3年(1718)と推定。当時の主要道が描かれている。もっとも西側(左側)の道が日光道中、並行している蛇行した道が古い奥州街道(「新編武蔵風土記」等)と口伝がある道海道(どうけみち)、右端が綾瀬川、下端は千住宿北端の千住五丁目である。
 年代推定の根拠は、保木間村部分にある真田小源太屋敷(旗本真田家の屋敷)で、仮名(けみょう)の小源太を名乗った当主の年代などである。

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