バス通りに建つトモエ学園の記念碑

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09-01-02. 自由が丘の地名のいわれ

資料ID295
名前(漢字)ジユウガオカ ノ チメイ ノ イワレ
名前(英語)Origin of the name of Jiyugaoka place
テーマみどりの散歩道コース
コース09.呑川・自由が丘コース
コンテンツ01.自由が丘の今昔
資料紹介寒村だった谷畑地域も大正の末から耕地整理が進み、田畑や山林の中に等間隔で広い道路が造られ、住宅地へと変貌(ヘンボウ)を始めました。昭和2年(1927)に東横線が開通し、これを機に駅前の商店街は広がっていきます。初め自由が丘の駅名は「九品仏(クホンブツ)」と呼ばれていました。昭和4年(1929)に開通した大井町線に同名の駅名が新設されたため、地元に開校して親しまれてきた自由ヶ丘学園の「自由ヶ丘」の名が駅名に採用されたようです。昭和40年(1965)に住居表示が「自由が丘」となり、翌年には駅名も現在の「自由が丘」となりました。自由ヶ丘学園の後身であるトモエ学園は、黒柳徹子の小学生時代を描いた小説の舞台となりました。現在この学園は廃校になっていますが、その跡地には記念碑が建てられています。
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コース紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=266
コンテンツ紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=293

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