目黒六か村絵図 目黒筋御場絵図部分 1805年 目黒区立図書館ホームページより。右側を蛇行する青い線が目黒川で、中央付近にある大きい池が碑文谷池。

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07-01-01. 碑文谷の地名のいわれ

資料ID240
名前(漢字)ヒモンヤ ノ チメイ ノ イワレ
名前(英語)The origin of the name of Himonya
テーマみどりの散歩道コース
コース07.碑文谷・立会川コース
コンテンツ01.碑文谷の今昔
資料紹介「碑文谷」とは珍しい地名ですが、その由来についてはいろいろな説があり、はっきりしたことはわかっていません。その中から代表的なものをいくつか紹介します。
*碑文石説…江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿(ムサシ フウド キコウ)」の中に、「昔村内の鎌倉街道の端に梵字(ボンジ)を刻んだ碑が立っていたので、それが地名の由来になった」という内容の記述がある。この碑とみられる石碑が後年発掘され、地名の起源になった「碑文石」として、現在は碑文谷八幡宮に保存されている。
*桧物屋(ヒモノヤ)説…この辺りには鎌倉時代から室町時代の頃から、ヒノキを材料にした味噌こし、ふるいなどの曲物(マゲモノ)容器を作る「桧物屋」があり、これが転じて「ひもんや」になった。
このほか、「世田谷城名残常盤(ナゴリ トキワ)記」にある「秘文の谷」説や「板碑(イタビ)がたくさんある里の村」からの転化説など様々ですが、地名のナゾ調べに挑戦してみるのも面白いでしょう。
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コース紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=238
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